おはようございます。ノ・ジェスです。
本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。
■■コラム 意見やアイデアが浮かばないのは、〇〇をみていないから
まわりの人にあわせることが
コミュニケーションの
基本スタンスになっていて、
自分の意見やアイデアが
浮かばないという人は多いです。
たとえば、
会議中に意見を求められて、
頭が真っ白になってしまうなど、
ドキドキした経験の
ある人もいると思います。
建前ばかりで、
本音を言わない習慣が
身についている日本人には
よくある悩みだと思います。
現代人の多くは、
知識や商品を消費するばかりで、
生産することはほとんどありません。
とくに東洋は、西洋をマネして、
学ぶことで忙しくなっているため
自ら知識や学問を生産したこともなく、
自分の意見やアイデアは
生まれづらくなっています。
このような状態になると
その場の雰囲気にあわせることが
クセになってしまうので、
「客観的事実」と
「主観的な自分の解析」との
区別がつかなくなってしまいます。
まずは、
単なる客観的事実なのか?
それとも主観的な意味づけ、
価値づけ、思い込みが含まれる
自分の解析なのか?
このふたつを区別する
習慣がとても大事です。
自分が主観的に
意味づけ、価値づけ
していることを鮮明にさせるのです。
つまり、自分の意見を
持っていないのではなく、
じつは主観的に
自分で意味づけ、価値づけ
しているんだとわかることです。
両手を叩くことで
(左右の手の平が出会うことで)
「パンッ」と音が出るように、
「客観的事実」と
「主観的な自分の解析」が出会うことで
この現実はつねに生まれています。
出会いがあるから
音が出るのに、
出会いをみずに
音だけをみようとするから
みれなくなり、
自分の意見が
わからなくなってしまうのです。
本日も読んでくださり
ありがとうございました。