おはようございます。ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ第3期の第7弾
ナビゲーター川口泰輝さんのもと、
期間テーマ「多様性と調和と発達
発達障害を突破する日本文明の挑戦」
として開催しています。
一昨日は川口さんの
変化ストーリーを語っていただきました。
お父様の葬儀でも涙が出なかったほど
感情がまひしていた川口さんが、
令和哲学と出会い、
当時は受け取れなかったお父様の愛情や、
口下手ながらも愚直に頑張ってきた
昭和の第二世代としてのお父様の涙も
受け取れるようになり、葬儀を思い出して
涙を流せるようになったといいます。
発達障害についても、源泉動きからみれば
人間の本当の定型発達は、
生まれてショックを認識し、
悟って本当の自分として現実を楽しむ、
という事になると思います。
けれども、今まで人類で
これを遂げた人はいませんでした。
ですから、発達障害である自分たちが
定型発達に成長していくことが
発達障害の究極の突破方式
と言えるのではないかということでした。
そこから全員で
「メメントモリ」や「死ぬことと見つけたり」と
日本文明の挑戦のつながりについて
考えました。
メメントモリは、生の絶頂にいても
死を忘れるなという意味ですが、
令和哲学から解析すると、
生の裏には死が、有の裏には無があります。
今この瞬間生まれ変わり、
物質もあったりなかったりしています。
それを生み出す源泉動きとつながって
生きることが重要ですが、そのためには
目の前のみえる世界1つだけに
執着するのではなく、
生死生死、有無有無の概念を通して
源泉に到達するのです。
それがビン鳥の外※に行くことであり、
源泉動き「1」で生きることです。
生だけが自分と思えば
「死も自分」を受け入れられません。
生死を統制できないと
自分の人生とはいえません。
生死もない源泉動きになって、
生死がどういう仕組みでおきるのか
みえるようになることです。
生死、と対称性をつけることで
宇宙のロゴスがみえるようになります。
生死を同時に存在させている
生命の根源である源泉動きとつながり、
生も使って、生死生死も使って、
生死もない世界も全部使う生き方が
日本文明の挑戦と言えます。