【20210924】豊臣秀吉と千利休 令和哲学カフェNo.321

おはようございます。ノ・ジェスです。

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【Noh Jesu Special交流会】開催
「デジタル庁発足と共に
デジタル哲学を開闢(かいびゃく)させる
日本文明の挑戦」
9月30日(木)19:00~21:00 @zoom
通常は会員限定の交流会を、
今回特別にオープン!
今のタイミングは日本にとって、
とても重要です。26年間のエキスを
すべて圧縮してお届けしますので
ぜひ関心をもっていただけると嬉しいです。
https://peatix.com/event/2903832

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令和哲学カフェ第3期の第9弾
(9/13~9/24)は
「人間一人一人のIDが尊重される社会
~ IDを変化させる鍵とは」のテーマで
細井コウさんがナビゲーターとなり、
千利休を深めています。

千利休はどんな問題意識を持って
生きたのでしょうか。
切腹を命じた秀吉に対して、
利休はどのような思いを持って
死んでいったのでしょうか。

秀吉は信長と違って、
低い身分から頂点に立った人物ですので、
自分の権威が通らない相手に
「私のことを無視するのか」という思いが
出やすかったのではないかと思います。

信長は、茶室の躙り口(にじりぐち)
を通過した先は
「私とあなたは一緒ですね」という
利休の茶道の在り方を
受け入れる器がありましたが、
秀吉には教えてもなかなか受け入れられずに、
逆に怒ってきたので、
品がないと思っていたのではないでしょうか。

秀吉からみたら利休は、
お金や武力で統制ができない相手で
怖い存在だったと思います。
秀吉は身分がなかったので、
武力や財力で垂直の秩序を
つくろうとしましたが
そこに対して利休は武力や財力ではなく、
美学で頂点に立ってしまったのです。

利休が、秀吉の切腹命令を
避ける道がありながら
刀やお金の力に屈服することなく、
切腹を選択したのは
暴力、財力で世界を動かすのではなく
「美しさ」に力があることを、
ラストプレゼントとして
秀吉に教えたのではないかと思います。

秀吉は晩年、
自分の一番の理解者であった利休に
切腹を命じたことを後悔した
と言われていますが、
そうだったであろうと思います。

21世紀は、切腹のような形で
心の世界を教えるのではなく
楽しくてたまらない勝負にしていきたいです。

令和哲学では「今ここ目でみちゃダメ」
目なしみる、耳なし聞く、
手なし触れる、足なし歩く
脳なし生きる、心の時代の今ここ
完全観察システムを伝達可能にし、
歴史最高、文明最高の勝負をする、
最高の頂点に立ったプライドがあります。

けれどもプライドだけではダメで、
現実のお金や暴力の
圧力による秩序を突破するためには、
雷が必要です。
ですから、私は日本に
徹底的に勝負しているのです。
個人の爆発ではなく、
日本文明にクロージングをかけているのです。
日本の目覚めから
世界を一気に変えていくことは
間違いありません。

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