【20250501】なぜ梵我一如=不二一元の悟りが一般常識化していないのか 令和哲学カフェNo.991

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェはBEST BEING塾を
今年中に10300校つくるという流れから
月曜日と水曜日開催がスタートしました。
7ラウンドでは世界に影響力のある宗教や
人気のある哲学者を取り上げ、
完全学問・完全教育を具現化させていく
BEST BEING塾の
あり方・思い方・やり方の哲学を
深めています。

世界の宗教を哲学するシリーズとして
キリスト教、仏教、イスラム教に続いて
今回は原田卓さんが
ヒンドゥー教について紹介しました。
ヒンドゥー教は世界3大宗教の1つです。
インドでは人口の80%以上に信仰され
仏教よりも古い歴史があります。
心と体を統合し、精神的な解放・悟りの境地に
到達することを目指しています。

教えの中で「世界は多様にみえているが、
それは無知による幻想。本質的には
“一なる実在”しかない」ことを説いています。
「梵(ぼん)」:ブラフマン、
宇宙の根本原理・絶対的実在
「我」:アートマン、自己の本質・魂
という概念を用い、
ブラフマンとアートマンが
イコールであることを「梵我一如」としています。

無知により、アートマンとブラフマンが
別であると思い込んでいるが、真の知を得て
「私はブラフマンだった」と悟ることで
輪廻から解放されると言っています。
梵我一如=不二一元論として、
不二一元の悟りへのステップと
不二一元の悟りに必要な
4つの資質まで説かれているそうです。

そこまで整理されても、
なぜ、不二一元の悟りが
一般常識化していないのでしょうか。
何が足りなかったのでしょうか。

ディスカッションでは
オープン性・出発の意志
最悪の地獄を認識して歓喜エンジンをつける
動きの概念、要素命題、完全言語
が足りなかったという意見が出ました。

シンプルにいうと「自分を知らない」ことが
いかに恥で、悲惨で残酷で屈辱で、
四苦八苦になってしまうのか
「自分を知らない」ことが地獄であることを
わかっていないことが一番大問題なのです。
例えるなら、自分がソフトクリームなのに
サウナに行ってしまうようなものです。

ヒンドゥー教では、この世は夢である
ということまでは説いても
動きの概念までは出ていません。
ファイナルクエスチョンとファイナルアンサー
まで出すことができていません。
人間の最上位概念の「有る」という概念を
突破して動きにならなければ
歓喜のエンジンにいかないのです。

ヒンドゥー教で使われている不二一元と
令和哲学(nTech)でいう不二一元は
名前は同じですが、中身が違いますね。

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