おはようございます。ノ・ジェスです。
本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。
■■コラム 今ここ、完全に生きるとは?
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により
人びとの心にはさまざまな不安・恐怖が渦まいています。
ウイルスに対する恐怖はもとより、
自粛が長引くことにより、
収入が減っていく経済に対する恐怖や、
先行きがみえない漠然とした不安など、
さまざまあるとは思いますが、
それらの不安・恐怖を集約すると、
それは一言で「死にたくないから」だと思います。
人間は「この体」への執着が
どうしても手放せないものなので、
この体が消えてしまうことに対して、
強烈な不安・恐怖を感じるものです。
しかし、本来人間は、
ただ死にたくないから生きている
というだけの生き物ではなく、
この世に生まれてきた意味があるはずです。
では、
そもそも生きるとは何でしょうか?
人間の生と死の概念について、
改めてこの自粛期間中に考えてみることは、
とても大事なことだと思いますし、
コロナウイルスは人間に対し、
それを望んでいるのかもしれません。
人間は、日々の生活の中で
たくさんの「変化」と出会い、そして、
さまざまな「選択」をしながら生きています。
しかし、人間が今ここ、
自ら選択できる変化とは、実はたった一つしかありません。
その一つの変化以外の変化は、すべて
「知らないから、知りたい」
「お腹が空いたから、ご飯を食べる」
といったような、その場の条件にあわせた
いわば機械的条件反射の選択に過ぎず、
とても自らが選択しているとは言えないのです。
たくさんの変化の中で
自ら選択できる唯一無二の変化は「死ぬ」ことだけです。
しかも「今ここ、完全に死ぬ」ということ。
それは言い換えれば
「生きたまま死ぬ」知恵であり、
完全に死ぬことができるのなら、
完全に生きることもできるということです。
人間が生きるための
目に見えない動力源(エンジン)は、
「精神エンジン」「生命エンジン」
「物質エンジン」「光エンジン」
「エネルギーエンジン」と、それらの
全てを動かす根本の「永久エンジン」があります。
この中で、人間が肉体的な死を迎えたときに
ストップするのは
「精神エンジン」と「生命エンジン」だけで
他のエンジンは、肉体が死んだとしても
重力波とともにずっと変わらずに動き続けます。
科学の観点で表現すれば「原子」は通常、
自然界の中で壊れることはないので、
例えば、日本の中には、今でも
昔の侍たちが呼吸した原子が壊れることなく
あなたの呼吸の中を循環しているということになります。
肉体が死んでもタイミングがきたら
また生まれ変わり
「生命エンジン」と「精神エンジン」の動きを繰り返します。
つまり、肉体が死んだとしても
それは完全な死ではなく、これを仏教ではカルマと言っています。
今ここ、完全に死ぬためには、
全てを動かす根本の「永久エンジン」そのものになる必要があります。
nTech(認識技術)は、
認識主体と認識対象の境界線が消え、
生まれることも死ぬこともない
「1」だけがある世界へ案内できる技術です。
本日も読んでくださり
ありがとうございました。