おはようございます。ノ・ジェスです。
昨日は、第76回令和哲学カフェが開催されました。
毎回多くの方に
ご参加いただきありがとうございます。
「ウィトゲンシュタインと言語」5日目は
まとめと質問道場を行いました。
カントによる西洋哲学のパラダイム転換で、
真理の基準が客観から主観に移動しました。
今この瞬間、自分が認識することで
自分の宇宙が生まれるようになるということは、
今までの、人間は神から生まれた結果物だ
という固定観点からみたら
なかなか受け入れがたいことですが、
その状態では心時代、
哲学の時代は始められません。
本当の認識主体は心、認識形式は観点であり
エネルギーのアルゴリズム、
目の前の世界は自分の体も含め
すべて認識対象である、という3つで整理すると
西洋哲学は簡単に理解しやすくなります。
ウィトゲンシュタインは
言語の使い方に問題があるとして、
言語で表現できる世界とできない世界を
明確に分けることが大事だと言い、
言語で表現できない宗教、芸術、哲学、
倫理道徳などを語ろうとすることを否定しました。
けれども言語で表現できることに価値がある
と考えていたわけではなく、
言語で表現できないからこそ価値がある、
言語で表現可能な数学や科学で、
人間のものすごい生命や精神を
表せるものではないということを
実行動で表そうとしました。
世界と言語は1:1の決まった対称性である
という論理を20代で発表しましたが、
後期では、今ここですべて生まれて
決定されるものであると見直しました。
しかし、要素命題自体の発見には失敗し、
源泉的動きから
すべてをディファインすることは、
他の哲学者同様、叶わなかったのです。
次回の令和哲学カフェは、
9/11(金)21時から開催します。
新しくガラリと雰囲気を変えてスタートします。
お楽しみに。