おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェはBEST BEING塾を
今年中に10300校つくるという流れから
「BEST BEING塾を哲学する
― 哲学の限界に挑戦する ―」をテーマに
月曜日開催がスタートしました。
8ラウンドでは完全学問・完全教育を
具現化させていくBEST BEING塾の
あり方・思い方・やり方の哲学を
深めています。
今回は塩見典子さんが 、
「認識論」 について紹介しました。
認識論とは「知る」とは何か、
「知る」という状態はどういうことなのか、
素朴な疑問の根っこになります。
認識論が生まれた時代を遡ると、
16-17世紀ヨーロッパ。
科学革命と宗教革命が起こり、
宗教革命では神の言葉の絶対性が揺らぎ、
みえるものが絶対という価値観が崩れました。
科学革命は、天動説から地動説、
感覚の常識が崩れます。
デカルト以降多くの哲学者により、
真理とは何か、知るとは何か、
認識論は深まりますが、完成はしていません。
今回のディスカッションテーマは、
「正しく知るために何が必要なのか」 また、
「正しく知る為には、目的知、完全知に
到達するためには西洋の認識論、
知ることの何が限界だったのか。
nTechはどのように超えたのか。」 でした。
「知る」といえば有るものを知るとなるので
有と無のディファインを鮮明にすることです。
存在が存在するためには
言語の限界を補う道具が必要になります。
正しく知っていることは一つもないと
オールゼロ化ができること。
そのためには模様・形でみないことが大事です。
言語がない時代、人間も動物でした。
SV言語を通して人間は生存能力が高まり、
協力体系をつくって動物を制圧しました。
更に、存在の意味・価値・目的を
追及、強化し現実と離れた神を妄信します。
しかし「神は死んだ」と
信じる世界を疑うようになって、
科学と哲学が台頭します。
科学は徹底的に実験して
再現できることだけ正しく知ろう、
哲学は疑って疑って疑うことができないことを
正しく知ることにしようとしました。
nTechでは、存在不可能のことを
凄すぎて脳では一切認識不可能な動き、
一番速いスピードの動きと規定しました。
存在の本当の意味・価値をわかるには
不可能が大事です。
存在不可能から有無が生まれ
有無から知る、知らないが生まれます。
ですから一元の動きは存在不可能、
認識不可能、知ること・
思い込むこと・なること不可能で、
凄すぎて脳では認識できません。
一元の動きがすべてを認識する主体です。
「神は死んだ」の世界を
私は「存在は死んだ」と規定しています。
存在が動くではなく、
動きが存在させる、動きだけ。存在はない。
2022年ノーベル物理学賞では、
波動も粒子も構成要素が発見されていません。
これをどうリテラシーすればいいのかわからず、
哲学の土台がなく、存在論と認識論の整理が
起きていない西洋の現在地です。
ntechは完全に整理して
哲学完成、科学完成させています。
存在と動きの2つが分かれば良いのです。
動きが存在させる、
それで完全認識に到達できます。