おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ6期は
「大和魂から希望の花が咲く令和魂へ
生きることと見つけたり!
明治維新~令和154年間を解き明かす!」
という新テーマで
21世紀侍の5人と共に
日本の近代歴史を紐解きながら
お届けしています。
新シリーズでは、5人の侍が15年単位で
明治維新からの154年間を紐解きます。
3月17日までは
明治維新から1945年8月15日までの
集団武士道の男性性の77年間、
その後5月5日まで
1945年以降の女性性武士道の
77年を取り上げていきます。
木曜日は原田卓さんの担当で
男性性武士道の
1913年から1927年を深めます。
今回は士魂商才をテーマに、
出光佐三・八田與一・水崎林太郎の
三名を中心に取り上げました。
士魂商才とは
「侍の魂を持って商売人の才を発揮せよ」
という意味で、出光興産創業者の出光佐三が
大事にしていた言葉です。
その言葉のルーツは明治初期をつくった
福沢諭吉や渋沢栄一にありました。
出光佐三は、1913年に満州にて
日本最大企業の満州鉄道に
油を売り込むものの、
はじめは相手にされませんでした。
しかし諦めずに
極寒の冬の満州でも凍らない油を開発し、
1919年に満州鉄道の発注を勝ち取ります。
次に、八田與一は
「台湾で最も愛される日本人」
と言われている方です。
彼は、明治の終わりから昭和の初めにかけて、
まだ衛生的にも文化的にも
安全とは言えなかった台湾の
都市整備や農業水利事業に尽力しました。
彼が10年かけて建設し
現在も使われている烏山頭ダムは、
当時世界最大規模のダムでした。また、
嘉南大圳という灌漑システムを完成させ、
水不足に苦しんだ台湾南西部の人々の
救済も行っています。
八田與一は「人類のためになる仕事をし、
後世の人々に多くの恩恵をもたらしたい」
との言葉を残しています。
最後に、水崎林太郎は
47歳で開拓農民として朝鮮へ渡ります。
未墾地が多かった大邱のために
貯水池を造ろうと、私財までも投じて
10年かけて寿城(スソン)池を築造しました。
「自分が死んだら葬式や墓は
伝統的な朝鮮風にし、寿城池がみえる所に
埋めてほしい」と言葉を残し、
実際に韓国にお墓がたてられています。
この時代の日本に
国内外に影響を及ぼす偉人が
多く生まれた理由は、集団武士道の観点から
整理する必要があります。
誰かひとりが特別だったのではなく、
彼らを育て輩出した状況があり、
そこにあったのが
集団武士道だと考えています。
「士魂商才」という言葉も、
武士階級を指すのではなく、
商人の出自でありながらも武士の魂を持って
実践する精神性があったことを表しています。
明治維新を通過して「やればできる」
を経験した人たちのチャレンジ精神は
集団全体で目覚め、爆発していく
流れがあったのではないでしょうか。
命以上に大事にしていた刀を手放したことで、
大前提を破壊し、
人間に対する再規定がおきた
当時の人たちのイノベーションは凄いです。
今の日本も、オールゼロ化で
大前提を破壊する時です。
時間・空間・存在が無いことが
当たり前になれば、日本はまた
もの凄いイノベーションを
発揮していくでしょう。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。