おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェはBEST BEING塾を
今年中に10300校つくるという流れから
「BEST BEING塾を哲学する
― 哲学の限界に挑戦する ―」をテーマに
月曜日開催がスタートしました。
8ラウンドでは完全学問・完全教育を
具現化させていくBEST BEING塾の
あり方・思い方・やり方の哲学を
深めています。
今回のシリーズでは『NEXUS 情報の人類史』と
BEST BEING塾の有り方・思い方・
やり方哲学をメタ4させていきます。
第6回目は、
第4章「誤り――不可謬という幻想」
について冨沢亮太さんから
プレゼンテーションがありました。
この章では、「可謬」と「不可謬」の
問題について取り上げています。
「可謬」とは、誤ること、「不可謬」とは、
誤りがないことを哲学では意味しています。
そして、これまで人類は
人間の可謬性の問題を突破するために
不可謬な「超人間的なメカニズム」を
生み出してきましたが、それらは失敗だった
という結論で締めくくっています。
ディスカッションでは、
人間の可謬性の問題を
どうやってゼロ化させることができるのか、
について深めていきました。
変化というものは、不完全だから起きます。
本物は変化があってはいけないのです。
一番速いスピードの動きを存在でみたら、
説明不可能です。
多様な存在は
一番速いスピードの動きからみたら
整理できますが、
存在である限り不完全なのです。
ですから、体人間であること自体が
思い込みの結果物であり、
ミステイクが当たり前ということです。
そのため、宗教問題、
魔女狩りといった歴史は、昔のことではなく、
形を変えながら現代も続いていると言えます。
結果として、体人間から可謬性の問題を
解決することは不可能なのです。
情報の構成要素、データ自体が
「存在が動く」という
大前提から出発しています。
しかし、そのデータが
嘘、錯覚であるとしたらどうでしょうか。
不可謬で生きるためには、
人間が完全データから
考えることができるようになることが
重要です。
令和哲学をもって人間の可謬性の問題を
正面突破していきましょう。