【20111001】一般的な「悟り」のイメージ⑥

おはようございます。
Noh Jesuです。

このメールマガジンでは、「和の産業」「悟りの産業」

を実現するためのキーワードを、毎日発信しています。「悟り」に対して「ヴィパッサナー」というイメージがあります。これは、小林正観先生もおっしゃっているような内観の世界です。
体の外から自分を観ている状態であり、これは24時間内面注視者が目覚めている状態です。

しかし、この状態では内観が弱く、般若心経の冒頭の「観自在菩薩~」の「観自在」=「自由自在に観ること」ができない状態に留まっています。

本当の自由自在は、例えば自分が今話している現象、宇宙全ての現象をメカニズムで説明できなければなりません。それは、常に自分が体の中から出ている状態であり、体から出た心である自分が常に「観ている」状態です。

しかし「観ること」が全てではなく、悟りでもないのです。私たち人間は体の目に80%認識が支配されているので、体の目から自由にさせて心の目に移動させるために「観る」という行為を使っているだけなのです。体の目も心の目も含めた「目」だけが真理ではないのです。

ですから、内観にとどまる事だけが悟り、真理そのものとは言えないのです。

次回は、道教的な「悟り」の世界について書いていきます。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です