【20150821】体が自分であると思った状態での出会い

おはようございます。人文ベンチャー企業家Noh Jesuです。

「観測する前は人間と人間の宇宙は存在しない」
すなわち「現実は錯覚であり、人間と人間の宇宙は実在しない」

このメールマガジンでは、この新常識を理解し、『心の時代』『無のパラダイム時代』をリードしていくための情報知識を毎日発信しています。

先日から「なぜ今、日本なのか」をテーマに配信しています。

体が自分であると思うと、時間が存在し、原因と結果の因果関係が生まれます。しかも、人間一人ひとりが持っている判断基準、観点はバラバラで違うため、相手と出会っていると思っていますが、実は出会っていないのです。

例えば、あなたが友人に話をしたとします。友人は、本当にあなたのイメージと一致して話を聞いているでしょうか。

相手が話を聞く時は、自分が聞きたいことのみ聞いています。自分が分からないこと、関心がないことはパスし、過去どこかで聞いたことがあること、自分が聞きたいことを期待して聞いているのです。これは自分が聞く側になっても同じことが言えます。

人はそれぞれ独自のストライクゾーンを持っています。体が自分であると思うと、自分のストライクゾーンに合うように話してもらいたいのです。内容もストライクゾーンに合えば入りますが、合わなければ入りません。

ストライクゾーンに入らないものは、分からない、つまらない、何を言っているのかさっぱり分からないとなり、逆に怒りが芽生えてしまうこともあります。

体が自分であると思い、出会うことは、ストレスやプレッシャーが常に発生してしまう状態なのです。

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