おはようございます。ノ・ジェスです。
昨日は、第82回令和哲学カフェが開催されました。
これまでにのべ2万人以上の方にご参加いただき、
本当にありがとうございます。
昨日より、新シリーズ
「ヘーゲルと令和哲学」が始まりました。
ヘーゲルを理解するために、
今回は、カント哲学からヘーゲル哲学までの
壮大な哲学の流れをお話しました。
カントは認識形式を発見した人です。
シンプルに言えば
人間(体)と人間のみている世界(環境)を
統一した人です。
令和哲学で表現すれば、
ビン鳥※の中を統一しました。
その後、道徳哲学と自由意志を統合して
カントをカバーしたのが、弟子のフィヒテでした。
絶対自我があって全部が自分だ、
実践自我として自分のアイデンティティを
どんどん決めつけることができる、
宇宙の外まで自分になれると語りました。
自我哲学がフィヒテの哲学でした。
カントが出来なかった、
ビンの中と外の世界の統合を
フィヒテの哲学が果たしたのです。
しかし、そうなると、
絶対自我が神だということになります。
当時、キリスト教が絶対の時代であり、
神が自我だというのは許されませんでした。
シェリングは、自然は神だと主張し、
簡単に自然も絶対自我にさせた
フィヒテを批判しました。
自分が神だとするよりは、自然を神にするほうが
キリスト教にも許される世界でした。
自然もみんなも神だとしたら、
それは無差別平等だ
と弱点を指摘したのがヘーゲルです。
ビン鳥の中の世界を全部無差別に
ひとつにしてしまうことに対して否定し、
秩序、順序があるとしました。
令和哲学でわかりやすく言い換えれば、
ビン鳥の中に虚数が入って、真空エネルギー、
ひも、銀河系、太陽系、電子、量子、中性子、
細胞、植物、動物、人間、社会の進化、
共同体の自由という話のことです。
進化の順番があります。
このようにカントからフィヒテ、シェリング、
ヘーゲルへつながる背景をお話ししました。
→※用語集はこちら
https://reiwaphilosophy.com/community/knowledge-base/words/
次回は9/21(月)21時から開催します。
WHT※もあります。お楽しみに。