おはようございます。ノ・ジェスです。
一昨日は、第81回令和哲学カフェが開催されました。
毎回多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。
令和哲学を理解するために、
強烈な道具となるのがカント哲学です。
今回はカントと令和哲学の
整理をしていきたいと思います。
カント以前の哲学は心について、
鏡のようなものと認識していました。
それは環境をそのまま映し出すだけの、
鏡のような機能でしかないという意味です。
しかし、カントは心を鏡ではなく
情報処理装置のように考えていました。
これにより、人間の生き方を
受動から能動へ
バージョンアップさせることに貢献しました。
また、「義務倫理学」という概念をつくり、
良心の法律を規定しました。
先に善悪があって法律を決めるのではなく、
源泉的動き「1」そのものの、
凄すぎるあなたが道徳を決めて、
あなたの準則が
普遍的な立法になれるようにしなさい、
と主張しました。
これは、自分の法律を守るのが
善という考え方です。
令和哲学は準則を行動ではなく
観察と規定します。
この時代の人類77億が幸せになれる、
成功できる道がみえるかどうか。
今ここ目でみるのではなく、
目でみる前に決定されるのです。
なぜカントは
ビンの外の世界を理解しながらも、
ビン鳥※の中と外を
融合できなかったのでしょうか。
カントの弁証法は、実はすべての根源、
大前提の源泉的動き「1」そのものを否定し、
現実を肯定する論理なのです。
令和哲学では源泉的動き「1」だけが
本当に実在するもので、
それがみている夢が人間と人間の宇宙であり、
錯覚であると解析しています。
この点が令和哲学と他の哲学との
大きな相違点になります。
「1」を否定してしまえば、
人間と人間の宇宙がない
と言い切ることができないのです。
哲学の詳細に関しては
今後Noh Jesuオンラインサロンで
詳しく説明していきたいと思います。
楽しみにしていてくださいね。
→※用語集はこちら
https://reiwaphilosophy.com/community/knowledge-base/words/
次回からは新シリーズ「ヘーゲルと令和哲学」
になります。ご期待ください。