おはようございます。ノ・ジェスです。
一昨日は、第80回令和哲学カフェが開催されました。
現在は「カントと令和哲学」をテーマにしています。
https://reiwaphilosophy.com/2020/4064/
4日目は「緊張の本質とは何か。
なぜ緊張が生まれるのか」についてWHT※をして、
カント哲学とつなげて整理しました。
カントは真理の基準点を、
客観から主観にひっくり返した偉大な哲学者です。
客観的世界が出発にあり
その結果物であった人間を、
主観的世界の基準に移動させたのです。
心の機能も、カント前までは
環境をそのまま映し出す鏡のような
受動的な機能であるとされていましたが、
カント哲学によって、
心は鏡などではなく能動的に
情報処理装置のように働いて、
自分の世界をつくり出していくものとして
シフトさせたのです。
カントの言う自己肯定感の「自己」とは、
どんな条件状況でも荘厳、崇高であり、
自由な自分を意味しています。
尊厳そのものである自分が自分の道徳をつくり、
それを基準に行動する。
令和哲学で言う、
今ここ、神より一千兆倍すごい自分が
宇宙をつくりだしていることを伝えたいのです。
同じように令和哲学からみたら、
ビン鳥※の外から
源泉的動きである本当の認識主体が、
映画館やスクリーンをつくって、
スクリーンの中の思い込みの主体を
全部使う事件の主体も全部含めて、
外から眺めて映画を楽しんでいる状態です。
世界を全部自分の心がつくっているならば、
緊張の心はないはずです。
「緊張」が客観的環境の基準から
否定される評価される、
不安恐怖から生まれているならば、
それは自分が世界を創造しているイメージがない、
ビンの中にいる状態です。
ビン鳥の外に出て心の世界からみたら、
138億年間ビンの中にいつづけ、
出会いに失敗し続けてきた心は
不信や自己肯定感の不在に
深い諦めや挫折をもっています。
それでも限界突破したい、
絶対世界と相対世界の分離断絶を
突破したい心として
「緊張」を整理することができます。
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