おはようございます。ノ・ジェスです。
昨日は、第79回令和哲学カフェが開催されました。
現在は「カントと令和哲学」をテーマにしています。
https://reiwaphilosophy.com/2020/4064/
今回はカント哲学の理解のキーになる
「手段的存在と、目的的存在」
の違いについて考えてみました。
人間関係を築く時に、
自分の目的達成の手段として相手を扱うのか、
お互いの目的がWIN-WINできる存在として
尊重するのかによって世界は全く変わってきます。
では「人間としての究極の目的、最高のゴール」
とは一体何なのでしょうか。
カントは最高のゴールを
【定言命法】で示しています。
あなたの意志で、道徳・ルールはあなたが創り、
それが普遍的な立法の原理になるように
行為せよと伝え、
それが人間の道徳と幸福が一致する、
最高の究極の人間ゴールだと言ったのです。
カントは行動準則として定めましたが、
令和哲学では観察準則として定めます。
「今ここあなたの観察の準則が、最大多数、
最高の幸せの、原理原則になること」
それが「今ここ目で見ちゃダメ」
と言っている世界です。
今ここ幸せになるには
目でみていたら無理なのです。
あなたが最高の幸せでなければ
世界も幸せになれません。
すべての根源「1」からみて、
新しい感覚からスタートするのが、
今ここ完全観察システムです。
今ここ77億人類の幸せの責任は
あなたの観察にある、そのくらい重要なことです。
今、AIの登場と共に、
人間の尊厳の危機が叫ばれていますが、
その危機を一気に反転させる
ビッグチャンスが来ています。
そのために哲学を完成する必要があります。
科学は認識対象の開発、
哲学は認識主体の啓発ですから、
哲学をマスターすることは本当の認識主体である
「心が何なのか」をマスターすることです。
科学を牽引してきたのは数学・物理学ですが、
西洋の数学には心が入っていないのが問題です。
東洋の数学は、
心が何なのかをマスターしていくプロセスです。
心が何なのかを教えることは
数学を完成させることにつながります。
数とは何か、宇宙と世界の根源、
すべての概念が出発する
中心の概念「1」とは何か、
そこからどうして概念が生まれてくるのか、
数学と哲学を統合してその説明ができることで、
仏教の悟りのレベルを超えて、
サムライの悟りを案内するのが令和哲学です。
次回の令和哲学カフェは、
9/16(水)21時から開催します。