おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を今まで開催してきました。
ここからは、今まで
令和哲学カフェで登場した
哲学者たちのまとめをしていきます。
今回はデカルトとパスカルについて、
佐藤周之さん、池田健吾さんからそれぞれ
プレゼンテーションされました。
デカルトは
科学・哲学VS宗教の時代に生まれた
フランスの哲学者・数学者であり
存在の主導権を
神から人間の理性へと移動させました。
「我思う故に我あり」と残し、
全知全能の神をベースとしながら
考える「私」は世界に対する
正しい認識をできると規定しました。
パスカルもデカルトと同じ時代に生まれた
フランスの哲学者で、
「人間は考える葦である」
という言葉を残したことで有名です。
遺著に『パンセ』があります。
「神が決して私を捨てたまわないように」
という最後の言葉がありましたが、
神を信じることはメリットがあるということが
彼の考えの軸でもありました。
ディスカッションテーマは
デカルト、パスカルが宗教の創造主である
神を超えられなかった理由とは何か、
何が足りなかったのか」でした。
これには、
神の概念を超えた概念を持つことが大事です。
宗教の神は一回宇宙をつくっただけですが、
源泉動き一つは1秒で10の500乗の宇宙を
創造破壊する動的平衡の世界です。
存在が動くのではなく、
動きが存在させるので
多様な存在が生まれてきます。
完全な神があるのだったら、その神を
道具に使える人間にならないといけません。
それができるのがnTechです。
宇宙自体が1個に固定されていて、
その宇宙をつくった神があるとしましょう。
そうすると完全な神があって、
不完全な人間があり、
不完全な人間は神をつくれないから
不完全な人間の中に
神という概念が存在するようになりました。
宇宙一個というのは言い換えれば、
死んでいる宇宙であり、
生きている宇宙がわかっていないのが
デカルトやパスカルでした。
神のリアリティそのもの、
絶対的な無限の可能性の
第一原因がわかることで
いかに宗教の神が限界であり、
それを土台にした
数学・科学の限界がわかります。
今ここ宇宙が
あったりなかったりする量子力学を
受け入れがたいのは
安定した宇宙が一個だけある
という枠から自由になれない、
すなわち宇宙があるから
人間が消えないのです。
そのため宗教も科学も限界がきて
結果的に核爆弾をつくりました。
本来は今ここが
あったりなかったり神秘・神聖なショックなのに、
それがわからないから
物質を破壊してみたらどうなるのか、
物質が消えるのをみてみたくなるのです。
存在不安からくる、
不信・不安・恐怖という感情も
神に依存して逃げて、
存在が動く言語に
完全に支配されているからこそ
起こる結果なのです。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが視聴可能になります。
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