おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェはBEST BEING塾を
今年中に10300校つくるという流れから
月曜日と水曜日開催がスタートしました。
7ラウンドでは
人気ある哲学者1人を取り上げ、
完全学問・完全教育を具現化させていく
BEST BEING塾の
あり方・思い方・やり方・哲学を
深めています。
今回は塩見典子さんから
マルティン・ハイデッガー(1889₋1976年)の
プレゼンテーションがありました。
ハイデッガー哲学は
近代社会は技術的思考によって
存在の真理が隠ぺいされ、
存在の忘却(人間が存在について
考えなくなること)、
存在の立ち去り(存在が開示されない)
があるため、詩的言語の重要性を説き、
言葉は「存在が開示される場」
であると言いました。
本日のディスカッションテーマは
「存在するという概念を理解するためには
何が必要なのか」でした。
5人の哲学者からはそれぞれ、
「エポケー」「体系」「動きの言語化」
「依存体系」「無の概念」
というキーワードが出てきました。
存在の概念を理解するためには
対称性を活用します。
ハイデッガーはA=NotA、
存在Aを否定するNot Aの概念に注目して
存在の出発を追求しました。
フッサールはAの現象はどこから出発したのか、
NotAではなく、有無が無い世界を
どう表現するのかを追求していました。
超越的還元は前進せず、バックして
これ以上バックできない世界を指します。
動きの言語化は存在を否定するのではなく、
存在の概念無しで、
すべてを動きで表現できることです。
nTechでは人間の脳ではイメージ不可能、
認識不可能、感じること不可能、
存在も不可能な世界を1番目のスピードで、
2番目のスピードの動きを
要素命題の最小単位としています。
ハイデッガーは要素命題の最小単位を
存在の立ち去りと表現しながらも、
主語・述語がどこで消えるか、動きを捉えて
言語化することができませんでした。
存在自体が、目の前の現存在に
どの様な影響を与えているのか、
存在の歴史の脈絡との繋がりを
みることも大事です。
nTechで整理する存在の概念は、
源泉動き1が自分を知るため、
この現実も自分を知るためにある
と言っています。
そこから極楽往生し、
本質と現実が不二一元で繋がった時に、
源泉動きに対して、
存在として捉えないことを存在の忘却、
存在の立ち去りとなり、
すなわち気付くことすら出来ない
本当のリアリティーの存在に到達します。
ハイデガーはフッサールが語ろうした
1(イメージ不可能、認識不可能、
感じること不可能な世界)は
学問にならないとしました。
ですが、現実の存在はイメージできるので
その根っこの根っこの根っこ、(現存在を
飛んでいく弓矢に例えてバックして
これ以上バックが出来ない後ろまで
バックしたところ)から、
今現在地はどこにいるのか、
どこにいくのが整理できる
と言ったのがハイデッガーの概念です。
ただ、ハイデッガーとフッサールを
上手く繋ぐことはできても、
1が明確に規定できなければ、
デジタル言語・完全言語は
生まれることはありません。
令和哲学では1の動きの規定に成功し、
デジタル言語・完全言語の誕生に
至ったのです。