おはようございます。ノ・ジェスです。
本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。
■■コラム 世間の目を気にする不自由な生き方
人生も半ばにさしかかると、
だんだんと世間の目というものが
気になりはじめる人はいます。
個人主義が進んだことにより、
むかしに比べて、とくに都会では
そのような傾向は
少なくなったかもしれませんが、
それでも人間は社会的な生き物であり、
他人と比較することでしか、
自分という存在を
感じられない性があるのも事実です。
結婚はしているのか?
子どもはいるのか?
年収はどれくらいなのか?
たまの飲み会では
そんな質問が飛び交い、
それに答えると
周囲のセンサーが自分に向けて
反応しているように感じたり。
まわりの目を気にしながら
ひたすら走るのにも限界があります。
自由がなく、
世間の目に縛られたような生き方です。
では、
この場合の「自由」とは
どのように定義できるでしょうか?
自由とは、自分の行動を
自らスタートさせる能力だと
定義できます。
逆にいえば、
世間の目ばかりを気にした状態とは、
自分の行動を制限した
「不自由」な状態であるということです。
不自由な現在地から、
自由な理想地へ向かうためには、
その現在地と理想地を明確に
”自ら”規定できなければなりません。
つまり、ここでいう
不自由な現在地とは、
5感覚と脳の「観点」に固定し、
もともと縛られた状態でしか、
ものごとを観察できない
今までの人間の古い認識方式に
問題があるということです。
まわりや
世間の目に縛られているのではなく、
自分の目が脳の観点に固定され、
縛られているということなのです。
今の現在地から、理想地となる
本当の自由を手に入れるためには、
観点の問題をクリアした
「人間と人間の宇宙は実在しない」のが
当たり前の「1」を基準にした
生き方への変化が必要になります。
古い認識方式をオールゼロ化して
宇宙の根源となる
源泉的なひとつの動きそのものを活用し、
新しい認識方式へ習慣化できたときに
自分の行動を自らスタートさせる
自由な生き方へと変化します。
またそこに案内できるのが、
nTech(認識技術)です。
本日も読んでくださり
ありがとうございました。