【20211026】死と再創造~令和哲学カフェ No.339

おはようございます。ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第3期の第11弾
(10/25~11/5)がスタートしました。
期間テーマは「死と再創造
~人間を祝おう!人生を奏でよう!」
ナビゲーターは
喜多島真由美(きたじま まゆみ)さんで
進めていきます。

喜多島さんは、幼少期の家庭環境や
自身の身体的なコンプレックスから
「自分とは何か?」
「人間とは何のために生きるのか?」
という疑問をもちました。

26歳の時に大切なお母さまを亡くされ、
その後も大病を通して、生きることを諦め、
希死念慮との戦いの日々の中で、
心理学・スピリチュアル、
哲学書などの追究が始まったそうです。

何をしても限界で
答えがないと絶望する中で、
認識技術nTechに出会い、本当の自分とは
「リテラシーする心そのものだったんだ」
と気づかれました。
これまでの限界は感謝に大反転し、
鬱・自殺・殺人・戦争が不可能な
人材教育として
nTechに確信をもたれました。

現在の夢は、
認識技術nTechを世界基軸教育とし、
2030年までに世界中のどこでも
誰もが当たり前に学べる環境をつくり、
教育から経済を生み出す新産業創出に
貢献すべく活動されています。

今回の喜多島さんの
プレゼンテーションでは、
死のケーススタディとして
様々な死を取り上げ、
「死のイメージ」について語られていました。
死に対するイメージが変わることで
人生が変わると思い、
小さい時ころからの死の教育が
必要ではないかと主張していました。

今回のディスカションテーマは、
「一番価値高い死に方とは?」でした。
今まで地球上にあった死に方で、
価値高い死に方とは、何でしょうか?
それを超えた死に方とは、
どんな死に方でしょうか?

参加者からは、
自我をなくして共同体のために使う命が
価値があるのではないか
という意見が出ましたが、

令和哲学では、
生も死もない完全死だと定義します。
そこに到達すれば、無限大
共同体に貢献することができるのです。
生があれば、死の恐怖を統制できませんし、
死の恐怖があれば、虚無になってしまいます。

今ここ、一貫した考え、感情、言葉、行動、
人間関係で生き切るのか。
条件状況によってころころ変わり、
モチベーションが続かないのか。
生死があれば、一貫性なく、
モチベーションも持続せず
「どうせ私なんか」
と自己否定して死んでいきます。
完全死が起きたら、すべての絶望を
自動的に大反転させる道が開くのです。

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