おはようございます。ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ第3期の第13弾
(11/8~11/17)
期間テーマ
「NO DIGNITY, NO LIFE !!」
ナビゲーター新原千春さんで
開催しています。
人間の最高のポジションとは
どんなものでしょうか。
釈迦は「人間が何か」「死後はどうなるか」
「考えはどう生まれるのか」
そういう事を知らないで
富も名声も意味がないと
王子の身分を捨てました。
令和哲学は源泉動きが明確に定義でき、
完全学問が完成したので
「世界基軸教育」として世界に広げ、
源泉動きを完璧にマスターして道具にし、
今ここスッキリ
わくわく楽しくてたまらない生き方の人を
人類77億に広げていきたいと思っています。
人間が尊厳で生きるには
自然的な傾向もあれば、
文化・文明の当然、必然性もあり、
自然の秩序と文明の秩序が
衝突してしまいます。
この中でどう生きればいいのでしょう?
カントは数学・物理学で
宇宙を全部説明しても、正しいものではなく、
人間の5感覚で認識できることの
限界を語って、
5感覚を超えた認識形式、
物自体まで到達しました。
そのカントがなぜ生命・精神を
はっきり整理できなかったのでしょうか。
カントの時代においては、最先端の知性で、
それまでを整理して
山の頂点に立ったと思います。
しかし本当の生命なら、
源泉動きとつながって
自分の中からあふれ出すはずです。
カントは物自体を動きではなく、
模様・形のように
何か固定してみていた可能性が高いです。
自然と文化・文明の両方を統制するには
両者の動きを成り立たせる
源泉動きを完璧にわかることです。
もっと言えば、アナログの自然と文化文明、
その裏のエネルギーのデジタルとが
源泉動きで成り立っていることがわかれば
源泉動きを道具にできます。
その状態の人間は最高のポジションに到達し
悟りを得たというのです。
悟りとはすべての違いを同じにすることです。
全然違うもの全部を同じにさせた時に
新しい違いを生み出し、
多様なパートナーを組み、
協力関係を補うことができます。
今までにない新商品、新技術がうみだせます。
ですから宇宙・自然であろうが
文化・文明であろうが
同じ源泉動きに溶かすことができるのです。
そのときに、人間の尊厳、
わびさびと言えるのです。