おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ第7期が終了しましたが、
引き続き「精神とは」を深めています。
水曜日の侍は池田健吾さんです。
水曜日は、騎士道を取り上げ
武士道との比較もしながら
「精神とは」何なのかを考えていきます。
騎士道は暴力的戦士から騎士へという
大きな目的・目標を掲げ、騎士の十戒という
厳しい戒律(守るべき規律・規則)を元にして、
秩序をつくっていきました。
そこで、今回のディスカッションテーマは
「戒律によってつくられた秩序の終着点とは?」
でした。
一言で言えば悲劇です。
AとnotAの対決・対立構造が続くのであれば
人間は全滅してしまいます。
Aとnot A自体が自他分離でなく、
不二になるためには
第三者を取り入れなければなりません。
映像スクリーンがあって、
バックスクリーンを取り入れるなら
第三者はスクリーンの外になります。
AとNotAがある、
すなわち環境・状況・相手に
支配されていることは脳の奴隷状態です。
これは今ここ簡単満足、
簡単にエクスタシーを感じられることによって
因果論理・自他論理・有無の論理を
超えられます。スイッチの点一個で
宇宙がある状態と無い状態を
同時に理解・説明・統制できることで
完璧に自由になります。
対決・対立、過去に縛られて
問題解決に走れば野蛮になり
復讐する世界になります。
本当の文明は
問題が一掃されている未来から出発します。
野蛮の秩序をつくるか、
問題が一掃されている精神文明、
愛の文明をつくるか。
有無の規定が変わることで
対立・対決の野蛮な世界は
スクリーンの中だけであり
スクリーンの外を取り入れれば、
信頼と愛の構造に
変えることができると思います。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。