【20210720】言語の限界とは? 令和哲学カフェNo.279

おはようございます。ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第3期の第5弾
美・グローバリゼーション
和心で創るOne Worldのカタチ
が開催されました。

ナビゲーターは黒田 麻衣子さん、
他は、在住国や出身国、ゆかりのある国が
スペインやイタリア、中国という
グローバルなメンバーで
これからお届けしていきます。

今回は「コミュニケーション、言語」
というテーマに着目し、
哲学者のウィトゲンシュタインと
構造主義を軸に
プレゼンテーションを展開しました。

ウィトゲンシュタインは
「言語の限界が世界の限界」
と語っていますが、
言語の限界とは一体何でしょうか?
出演者によるディスカッションでは
「共有が不可能」というキーワードで
まとめられましたが、
何が共有不可能かというと、既存の言語では
イメージの共有が不可能なのです。

今までの共有不可能な言語を使い、
一生懸命主義主張してきましたが、
この言語では
疎通交流や共有共感ができません。
そのためチームプレーもできず、存在孤独や
鬱になっているのが人間の現在地です。

では、このイメージ不可能を
どうやって補うことで、
世界の限界を突破できるのでしょうか。

令和哲学ではイメージ言語を道具にして
言語の限界を突破しています。
源泉動きはイメージ不可能、認識不可能、
感じることも不可能ですが、
イメージ不可能の世界から
イメージ可能な虚構の世界をを
どう生み出すのか
その仕組みを共有できる言語が
イメージ言語になります。

共有可能な言語を使って
学ぶことができるから、完全学問であり
世界基軸教育である
と言い切ることができるのです。

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