【20100901】「判断基準」の異質性

おはようございます。
Noh Jesuです。

このメールマガジンでは、「和の産業」「悟りの産業」を実現するためのキーワードとなる「判断基準」について、毎日繰り返し発信しています。

私たち人間は、

[1]皆、判断基準を持っている
(だから、エゴ(我)の執着を突破できない)

[2]その判断基準が皆違う
(だから、人間関係の摩擦が終わらない。しかし判断基準をひとつにしてしまうと、さらに大きな問題が起きてしまう)

[3]その判断基準が不完全である
(だから、無知の恐怖を解決できない)

[4]その判断基準によって、観点が固定される
(だから、アイデア、イメージ、やる気の限界を突破できない)

というのが事実です。

今日は[2]の、
「判断基準が皆違う」
と言う事について考えてみましょう。

私たちは、それぞれ異なった家庭環境、生活環境、そしてその時代の社会環境、文化環境のもとで生きてきました。ですから、世界68億人全ての人が異質な(バラバラな)判断基準を持っています。

しかし、私たちは、判断基準について明確に理解しないまま、考えたり、感じたり、会話したり、行動したりしてしまいがちです。

そのなんとなくの理解が原因となって、不信・不安・不満・ジェラシー・自己否定・他人否定をしてしまったり、鬱や自殺、離婚、家庭崩壊、さらには、組織内の分裂、組織間・宗教間・国家間の摩擦や衝突、戦争といった現象までもが生まれているのです。

「判断基準」が皆バラバラだからと言って、もしそれらを一つに画一化してしまったら、人間が機械のようになってしまうのでもっと問題です。
しかし、判断基準の違いを放置したままだと、人間関係の摩擦や衝突が永遠に終わりません。

この「判断基準」によって生まれる問題のメカニズムを明確に理解し、その問題を解決していくことが、全く新しい職業となり、「和の産業」「悟りの産業」へと繋がるのです。

それでは明日のメールマガジンもお楽しみに!

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