おはようございます。人文ベンチャー企業家Noh Jesuです。
「観測する前は人間と人間の宇宙は存在しない」
すなわち「現実は錯覚であり、人間と人間の宇宙は実在しない」
このメールマガジンでは、この新常識を理解し、『心の時代』『無のパラダイム時代』をリードしていくための情報知識を毎日発信しています。
先日より、「デジタル経済戦争を制するポストIT時代の日本のミッション」をテーマに配信します。
自分の手を見た時に、自分の手は「手」で見えますか。例えば、これを「スクリーンに映った手」で見ることができるとしたら、いかがでしょうか。実は大前提として、私たちは立体コンピューターの画面の中に居るのです。
スクリーンといえば、私たちはスクリーンを前にして、色々な画面を見てると思うかもしれませんが、自分の周りの世界、360度すべてがスクリーンなのです。あなたがバーチャルリアリティ(VR)で映像を観た時に、目の前から矢が飛んで来れば、本物のように感じて思わず逃げてしまったりするでしょう。今、まさしくこの現実世界は360度すべてがスクリーンなのです。
私たちはこの動いてるスクリーンの中にいるアバター、自分が映画の主人公のような状態です。映画の主人公のストーリーのプロセスに関心が行きやすいと思いますが、この主人公がスクリーンの外に出て、映画をつくる監督に、「この場面の演出はこうしてほしい」というようにスクリーンを作る側にまわる事はできるでしょうか。
さらに言えば、映画のストーリーを考える脚本家、あるいは主人公の絵を描く人に「自分の目をもっと美しくしてほしい」というようにスクリーンの外にいる製作する人に言えるでしょうか。
では、映画の主人公は自分はどこから来たのか、どこに行くのか、生きることは何なのかがわかったときに、本当の自分自身を理解した主人公は映画の中でどう生きるのでしょうか。