おはようございます。ノ・ジェスです。
本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。
■■コラム ガラスのビンの中の鳥
5月21日から連日開催している
令和哲学カフェのなかでは、
「ガラスのビンの中の鳥」に
たとえたお話をよくします。
ガラスのビンの中に卵を入れ、
その卵から鳥がかえり、
ビンの中で成長したとします。
大きくなった鳥は
ビンの外に出ることはできません。
このとき、
ビンを壊さずに、鳥も殺さずに、
鳥をビンの外に出すためには、
どうすればよいでしょうか?
この問いは、
哲学とはなにか?
なぜ必要なのか?
そこにもつながるお話です。
哲学とは、この難題に対し、
明確な答えを得られるものだと言えます。
ビンと鳥の関係は、ほかにも
いろんなたとえに応用できます。
たとえば、
鳥を人間におきかえたとしたら、
ビンは地球だったり、
宇宙にもおきかえられます。
もしくは、
ビンが資本主義だとしたら、
資本主義の中で生きる人間が
どうすれば資本主義から
自由になって生きられるのか?
さらに、ビンがアメリカで
鳥が日本だとしたら、
どうすれば日本は
アメリカから自由になれるのか?
そのようにとらえることもできます。
明確な答えをわかっていることが
どのくらい大事なことなのか?
混迷する今の時代、
今の日本には哲学が必要です。
時間、空間、存在、
エネルギーもない世界から
宇宙がどのように誕生したのか、
地球とはなにか、
人間とはなにかがわかれば、
人間はなにを知るべきで
なにをするべきで
なにを希望するべきなのかが
わかるということです。
人間の脳(鳥)の観点で
ものごとを認識しているかぎりは
どんな答えであったとしても
それを理解することはできません。
ガラスのビンの中にいる鳥が
今ここ、ビンの外に出ることが
すべての問題を
一掃するキーワードなのです。
本日も読んでくださり
ありがとうございました。