おはようございます。ノ・ジェスです。
昨日は、第33回令和哲学カフェが開催されました。
毎回多くの方に
ご参加いただきありがとうございます。
「言語の美しさ」の3日目は、
WHTを通して
「言語とは何か」を深めました。
令和哲学カフェが始まってから、
美学、哲学、尊厳、思考、感情と
様々なテーマに取り組んできましたが、
その流れで今、
なぜ言語をテーマにするのか、
という質問をいただきました。
言語の理解なくして
哲学の問題は解決されえないとする、
言語哲学でヴィトゲンシュタインも
探究した世界をシンプルに表現すると、
言語は固定されているものではなく、
人間が今ここ、
どのようなポジションで、
どのような観点で語るのかによって、
意味も概念もエネルギーも
その都度生まれます。
また、受け取る側が
どんなポジションで
どんな観点で受け取るかによって
また変わってしまいます。
ですから、言葉を使って
コミュニケーションをするほど、
疎通交流が深まるよりは
誤解を生む方が多くなります。
人間の宿命的課題は
結集と生産ですが、
その邪魔をするのが
実は言語だったりするのです。
私たちはカント哲学を通して、
認識主体と認識形式が出会った結果物が、
この体を含めた認識対象だと確認しました。
そして認識主体と
認識形式の出会いの結果物を、
ビンと鳥の絵を用いて、
本当の認識主体は
ビンの外であると整理しました。
認識主体が明確に分かれば
認識形式がみえ、
認識形式がみえれば
言語とは、感覚とは、観点とは、
が正確に整理できるのです。
けれども西洋の哲学は
明確にビンの外に到達できずに、
イメージ不可能な世界は
哲学の対象ではないと
決めてしまいました。
令和哲学は、ビンの外が本来の
認識主体であることを明確に規定し、
言語の限界を突破する、
イメージできない世界の
明白な理解を可能にしたのです。
それゆえに令和哲学は
学問の完成を宣言しています。
令和哲学が世界機軸教育だと
言っている背景には、
今までの学問は
すべての学問の統合ができず、
不完全だったことがあります。
人類すべてを幸せ、
尊厳へ案内できる道を
作れなかったのはそのためです。
「令和哲学」と
日本の元号と哲学を組み合わせて
名付けていること自体が、
日本の可能性を
確信しているからにほかなりません。
日本が人類の尊厳を回復して
心時代を牽引して
いってほしいと思っています。
前回もお知らせしましたが、
新企画として、
人間の尊厳性破壊と尊厳復興の
メッセージを伝える
「尊厳破壊阻止・尊厳創建運動」と称した
動画コンテストを開催します、
ぜひチャレンジしてみてください。
豪華な賞も用意しています。
動画の作成を無料で学べる
コミュニティも
ポータルサイトに誕生しました。
https://reiwaphilosophy.com/community/groups/reiwa-movie-makers/
次回は7/14(火)21時よりスタートです。
皆さまのご参加をぜひお待ちしております。