【20200810】歴史が自分とつながらない理由とは?

おはようございます。ノ・ジェスです。

本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。

■■コラム 歴史が自分とつながらない理由とは?

歴史が苦手な人にとっては、
学生のころ、
なぜ歴史を学ぶのか?
学んで将来、
なんの役に立つのかわからない。
意味ないんじゃないのか?

そんなふうに
思った人はいるかもしれません。

また歴史を学ぶことは失敗を学ぶこと、
その失敗を現代に生かすことだ、
などと教えられた人もいるかもしれません。

いずれにせよ、
過去の出来事をただ暗記しただけでは、
自分とつながらないので、
たしかに面白くはないと思います。

では、
歴史とはなんでしょうか?
またその歴史が
自分とつながらない理由はなんでしょうか?

まず歴史を学ぶとは、たいがい、
「何年にどんな事件が起きたのか」
といった事柄をつなげて
おぼえるイメージがありますが、
歴史に刻まれる事件というのは、
まさにビッグイベント(大事件)ばかりです。

そして歴史に残っている
ほとんどの事件は、
その戦いに勝った人たちが、
自分たちの都合のいい
記録だけを残しているものです。

大事件とは
小さい事件の結集でもあるので、
大事件ばかりではなく、
小さい事件に着目することは重要です。

つまり、大事件だけをみて
単にそれを暗記するレベルでは、
自分の人生とつなげて
歴史を考えることは
むずかしいということです。

小さい事件が
認識できるようになることで
歴史のとらえ方は変わります。

事件とは
「変化」によってつくられるもの。

ですから、私たちが普段、
どこまで小さな変化を
認識しているのかが重要になります。

たとえば
「目の前のコップを持った」そして
「そのコップで水を飲んだ」など、
”わたし”という存在(主体)が
”コップ”という存在(対象)を
移動させることも変化ですが、
それは”わたし”も”コップ”も
ともに「有る」という前提の
“有”から”有”の変化にすぎません。

有から有の変化の認識を
「事物認識」と呼んでいますが、
この認識には大きな問題があります。

事物認識は、
5感覚と脳を基準にしています。

部分だけをとる。
違いだけをとる。
過去とつなげてとる。
有限化してとる。

という脳の認識の特徴によって
結果的に人間は相対比較がとまらずに
人類の戦いの
歴史につながってしまいます。

また5感覚と脳は、
とても大雑把な
部分的な情報の変化しか
とらえられないという
機能的な限界もあります。

つまり、本当に小さな変化(事件)、
すなわち、”無”から”有”の変化は、
認識できないということです。

すべての存在には「無→有」という
共通の変化の仕組みがあり、
そのレベルの小さな変化の認識を
「事件認識」と呼んでいます。

事件認識によって、
比較不可能な絶対世界(無)から
今ここ多様な相対世界(有)が
生まれていることをイメージできます。

すごい大事件が
今ここ常に起きているということです。

自分とはなにか、
人間とはなにかがわかり、
138億年前の宇宙誕生から
500万年間の人類の歴史までの
すべてが自分とつながる。

事物認識と事件認識では、
認識の基準点がまったく異なるのです。

本日も読んでくださり
ありがとうございました。

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