おはようございます。ノ・ジェスです。
一昨日は第105回令和哲学カフェ
「フッサールと令和哲学」3日目が
開催されました。
毎回多くの方にご参加いただき
ありがとうございます。
今回は令和哲学と相性の良い
フッサールの現象学の理解をするために
「意味がなぜ生まれるのか、
意味の究極の目的はどこにあるのか?」
をテーマにWHTにチャレンジしました。
意味はなぜ生まれるのか
お金の意味
人生の意味
コロナの意味
意味が生まれる仕組みが
現象学を通してみえるようになります。
たとえば、お金がないときに
人はお金を得ようと頑張ります。
しかし、頑張っても頑張っても
お金持ちにはなれないとわかっていたならば、
人はお金に意味・価値を持って
お金のために頑張ることはできなくなります。
どうすればよいのでしょうか。
意味が存在するのは無意味にいくためです。
今までの意味価値を上回る世界があるから
無意味にいくのです。
現象が生まれる前の、無意味、無現象、
つまりビン鳥※の外、
神の概念をはるかに超えるすごすぎる動きが
本来の自分であることを知った時に
今までの意味がすべて無意味に溶ける、
無意味の意味にいきます。
そこからすべてが生まれる仕組みをみて、
無意味から
現象に対する意味を生み出すのです。
お金が何のために生まれているのか
貨幣システムが
どんな用途・機能を持っているのか、
現在の生活にどこまで貢献しているのか
ビン鳥※の外へ出て、
意味の外からみる必要があります。
その上で世界77億が納得できる意味として
アップグレードさせるためにどうするのか、
という世界にいくのです。
→※用語集はこちら
https://reiwaphilosophy.com/community/knowledge-base/words/
次回の令和哲学カフェは
10/26(月)21時からです。お楽しみに。