【20211007】ハイデッガーとレヴィナスの違い 令和哲学カフェNo.329

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THE BiG SHiFT
Dignity2.0 International
Conference2021

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2021年度テーマ
「シン(心)時代への挑戦/
THE BiG SHiFT」
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【日程】
2021年10月9日(土)・10日(日)・11日(月)

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令和哲学カフェ第3期の第10弾
(9/27~10/8)の
期間テーマは「自己否定が走る道から
偉大な変化を創る道」で
ナビゲーターは野田憲冬さんです。

一昨日は「他者」を語る二人の哲学者、
ハイデッガーとレヴィナスの
違いについてお話しました。

ハイデッガーは、
20世紀の有名な哲学者です。
ハイデッガー以前の哲学者は、
神が万物を創造した、としていたので
神なしで存在を
説明することができませんでした。

ハイデッガーは、現存在の決断と、
どんな用途機能で使うのかによって、
存在者の性質が決まると主張しています。

スマートフォンを例にして、説明します。
母親は、子供に勉強させたり、
要求したいことに誘導させる道具として、
スマートフォンを使います。
子どもは、ゲームをしたり、
友達と遊べる道具をして使います。

このように存在の決断、脈略によって、
スマートフォンが
子供を学習させる道具になるのか、
遊び道具になるのかが決定するのです。

レヴィナスは、
ハイデッガーの存在論的な観点は、
独断的で、抽象的な
存在の決めつけだと否定します。

自分が死んでも
地球の自公転が終わらないなら、
その存在は部分であり、有限で、
勝手なリテラシーであると指摘します。
そして本来は、
他者、無限、全体性だと主張します。

令和哲学からみた
「他者だけが実在する」「無限」
「源泉動きだけがある」境地と繋がります。
しかしながら、令和哲学は、
ハイデッガーは全体の動きの中の
一部分であると、
ハイデッガーも受け入れることができ、
すべてを抱きしめることができるのです。

今回はハイデッガーの何が評価されて、
レヴィナスがハイデッガーの哲学の
何を否定したのかを整理しました。
それは今の時代にも
重要なポイントでもあります。

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