【20221204】絶望を乗り越える教育とは 令和哲学カフェ No.604

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ6期テーマは
「アモールファティ ~集団武士道の進化~」
をテーマにお届けします。
5人の21世紀SAMURAIたちが、
各曜日を担当しながら
宮本武蔵、新渡戸稲造、坂本龍馬、
吉田松陰、山本常朝(葉隠)を深めています。

木曜日は原田卓さんを中心に
吉田松陰を哲学しており、
12月は「教育者としての松陰」を
皆さんと一緒に考えていきます。

なぜ松陰は、伊藤博文はじめ
志士たちの決断と覚悟、
明治維新の実践行動を生み出す
教育ができたのでしょうか。
激動の時代を駆け抜けた
松陰の生き様も参考に
「どうすれば絶望を乗り越える教育が
可能なのか」
をディスカッションしました。

「理」のレベル、論理展開からみると
“絶望”や“限界”というのは
問題が生まれてしまった状態です。
「問題発生」の次元と
「問題解決」の次元は違うので、
問題が発生した次元で考えるのではなく、
まずは理想から出発して
問題がない次元からみることです。

“有限・部分の存在”があれば、
無くなる、死ぬなどの問題は当然起こります。
“無限・部分の存在が無い”ならば
空間は無く、空間がなければ時間は無く
時間が無いならば、
変化し続けるエネルギーもなく、
そこに何が有るのかというと、
認識する心しかありません。

重要なことは、唯一無二の価値がある変化は
「認識の変化」しかないのです。
今ここ歓喜あふれる認識になるには
心の動きだけがある
真の強さだけが実在する中で、
真の強さを認識するために、
人間と人間の宇宙という
真の弱さを生みだしていることを
わかることです。

すべてが認識であり、問題が無い次元から
問題が生まれる次元であることを
理論としてわかった上で、方法・形としては
事実判断から価値判断に移動することです。
真の強さが裏付けされていない現実は
真の弱さばかりの
とんでもないことが起こる世界で、
ここで幸せになろうとすること自体が
おかしいことです。
映画のスクリーンをみる感覚で
執着しないことです。

限界だらけで、限界突破だけがあるのです。
宇宙の外までピーンとはった心の状態で
どんな状況、相手でも不動の心となり
歓喜あふれるエンジンそのもので
どんな状態でもアモールファティ、
運命を愛しましょう。
問題が一切ない状態から、多様な問題が
生まれる現実を楽しむことです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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