【20221222】刀の本質とは何か 令和哲学カフェ No.616

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ6期テーマは
「アモールファティ ~集団武士道の進化~」
をテーマにお届けします。
5人の21世紀SAMURAIたちが、
各曜日を担当しながら
宮本武蔵、新渡戸稲造、坂本龍馬、
吉田松陰、山本常朝(葉隠)を深めています。

火曜日は塩見典子さんの担当で
『武士道』を哲学しています。

今回は、第13章
「刀~なぜ武士の魂なのか」
をとりあげたプレゼンテーションの後に
刀の本質についてディスカッションしました。

日本では、
武士が当たり前のように刀を持っていますが、
韓国ではそうではありませんでした。

韓国では、刀を持っているのは一部で、
頭が悪いから刀を使うという
イメージが強いので、
無視されたり給料が低く
馬鹿にされていました。

日本は、刀を持っているので、
生死に対する姿勢態度を
自然と考えるようになり、
心を切磋琢磨させやすい文化文明です。

日本には、強い相手を誇り、
尊敬する文化があります。
これは刀の影響で、強い人が生き残り、
弱い人は斬られてしまうからです。

勝海舟は剣豪でありながら、
自分が斬られても
相手を斬らない決断をしました。
これは平和に到達したということです。
宮本武蔵の無刀の心と繋がります。

人間は決して人間に斬られる存在、
殺される存在ではない。
人間は凄すぎる存在であると、
心を分かっていたのです。
ですからアメリカが核爆弾を落としても、
日本は核爆弾を落とさなかったのです。

刀は核爆弾のようなものだから
簡単に使っては駄目だとし、
平和に到達するようになりました。

刀を持って、
「存在が動く」言語で戦いをするのではなく、
「動きが存在させる」平和になる言語が
必要です。

究極の平和を理想とする武士道が
根付いた日本から
新しい言語が生まれるのは
当然だと感じました。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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