おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ6期は
「大和魂から希望の花が咲く令和魂へ
生きることと見つけたり!
明治維新~令和154年間を解き明かす!」
という新テーマで
21世紀侍の5人と共に
日本の近代歴史を紐解きながら
お届けしています。
新シリーズでは、5人の侍が15年単位で
明治維新からの154年間を紐解きます。
3月17日までは
明治維新から1945年8月15日までの
集団武士道の男性性の77年間、
その後5月5日まで
1945年以降の女性性武士道の
77年を取り上げていきます。
火曜日は塩見典子さんの担当で
男性性武士道の
1883年から1897年をみていきます。
今回は伊藤博文を取り上げました。
伊藤博文はもともと
農民の身分で生まれましたが
父が足軽の伊藤家の養子となったために
下級武士となりました。
17歳の時に松下村塾に通い、
吉田松陰から可愛がられ、
政治の才能を見出されていました。
明治維新後、
岩倉使節団で海外視察を通して
外国に攻められない
強い日本をつくるため
国会開設や憲法発布に尽力しました。
これらは日本を守るための
武器を使わない戦いでもありました。
伊藤博文は松陰の理想を
強い意志で具現化しようと、
最後まで戦争ではなく経済力と
外交を優先させる路線で
アジアをまとめようとしました。
文武両道のバランスを保ちながら、
中国も朝鮮も近代化させつつ
ゆっくりと心を通わせていく、
摩擦・衝突なしの路線です。
しかし最後はハルビンで暗殺されてしまい、
彼の死後、日本は
軍国主義へ舵をきっていきました。
もし生きていたなら、
今の反目しあうアジアの秩序が
変っていたと思います。
日本は
圧倒的な文化の格差まで持っていたので、
他のアジアの若者の心をつかみながら
一つになれたのではないかと思います。
伊藤博文の死で、彼の路線自体が
なくなってしまったのが残念に思います。
人間力に優れ、大変賢かった伊藤博文は
この時代の英雄だと思います。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。