おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェは4年目・7期に突入し
「日韓関係のアモール・ファティ!
日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる」
を掲げ、デジタル認識技術による
日韓兄弟国家、
教育ビジョン同盟プロジェクト
をテーマに開催していきます。
6期では明治維新から154年間の
日本の近代歴史を深めましたが、
7期では日韓の関係性から
歴史の流れをリテラシーしていきます。
30年間ごとに分けて
月~金曜の5人の侍で担当し
ディスカッションで
深めていきたいと思います。
月曜日は長野広樹さんが
1868年から1897年までを担当し、
今回は庚申事変までの歴史を
「女の執念」をテーマに
国王の妻、閔妃の執念からくる歴史や
朝鮮と日本の関係などがまとめられた
プレゼンテーションがありました。
執念は考えが一点集中ができること。
そこに行動が伴うと執着となります。
執念・執着を80億の人類のために
使うことができるかが大事です。
その執念・執着は大変良いものですが、
そもそも人間は、考えひとつですら、
実は執念・執着しづらいものです。
つまり、一点集中をすることは
難しい仕組みになっています。
では、理想的な執念・執着を持てる
自分になるには、どうすればよいでしょうか。
それは自分をどう規定するか、
がとても大事になります。
nTechでは自分は不可能性そのものだ
と言い切っています。
不可能性の自分では、何もひとつもわからず
自分の幸せ・成功は無理です。
観点の中、スクリーンの中で
何ひとつも変化できません。
その不可能性そのものの自分が
観点の外、スクリーンの外に出ることのみが
唯一無二の変化であり
自分が変化したと言えます。
そうなった時に出会えるのが
無限大の可能性です。
しかし、無限大の可能性そのものの
自分になりきると、
無限大の可能性ができないことがあります。
それがひとつに固定されることです。
「無限大の可能性」という
ひとつに固定された状態は
無限の可能性とは言えません。
ですから、無限大の可能性が、
不可能に挑戦し
その挑戦した結果が、
「ひとつに固定された
変化ができない自分」なのです。
無限大の可能性の自分が、
限界突破したのが
不可能性そのものの
自分であることがわかると
ヒーリングがきて完全循環が起きます。
日本はそのことを
80億に教えられる
日本になることは間違いないでしょう。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
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