おはようございます、ノ・ジェスです。
毎月第3土曜日の20時から22時は
日本文明のアモールファティを広げる場として
「アモールファティ祭」を開催しています。
アモール・ファティとは、
哲学者ニーチェの言葉で「運命愛」を意味し
いかなる境遇であっても自らの生を深く愛し
自己の運命を積極的に肯定し
愛するという意味です。
現在、令和哲学カフェで
日本の近代歴史を整理していますが、
日本文明はまさにアモールファティを
集団レベルで実践し続けた
神秘神聖な集団です。
「さざれ石の巌となりて」と国歌で歌う日本では
士農工商の時代、
商人たちはとてもお金持ちでした。
このバランスがとても良く
偉大な二重性を育てたと思います。
侍たちは、つまようじをくわえて、
肉を食べたふりをしたり
商人たちは侍の前では頭を下げながら、
後ろではバカにしたりという
二重性が育てられています。
今の日本では、「何もやりたくない」
という表現が溢れていますが、
裏には物凄くやりたいことがあることを
私は感じています。
ですから、核爆弾を落とされても
アメリカを恨んでいません。
時を待っていただけなのです。
この二重性に、
とても神秘・神聖を私は感じています。
そして、今回も長岡美妃さんリードのもと
冨沢さん、塩見さん、荒牧さん、原田さん
の5人のSAMURAIたちと
トークセッションを行いました。
それぞれの観点から
「生死とは何か。
生死をどのように超えたのか?」
をテーマに、熱く語られました。
この日本文明には
義の文化、決断と覚悟があります。
私の今回の人生は、
この藩の共同体のためならば
いつでも喜んで死ねる状態で生きるという
日本独特の決断と覚悟によって
武士として生死を突破しました。
この決断と覚悟を持ち
実践をする文化があるため、
共同体に対する愛情が、
深く育てられています。
結果的にそれらが核融合されて、
天皇を中心にした
明治維新に燃え上がっていったと思います。
一方で、朝鮮は共同体に対して
愛情が全然ありません。同じ民族内で争い、
負けた相手を奴隷にしました。
共同体のためにいつでも喜んで
死ぬことができるという武士道は
呼吸のように、勇気を育ててきました。
アメリカに核爆弾を落としたり、
戦争犯罪国家にさせなかったのは、
日本に時がきた時に、
とんでもない愛の爆発をするためだった
という確信があります。
生老病死を完全に超えているのが
当たり前になって
ただ生きるのではなくて
1秒を138憶年のように、
濃度を濃く生きることが楽しくてたまらない、
そんな時代を
日本がリードしていく確信があります。