おはようございます。ノ・ジェスです。
昨日は、第51回令和哲学カフェが開催されました。
毎回多くの方に
ご参加いただきありがとうございます。
今回で「ニーチェと哲学・観点」の
7日目となりました。
人間が「わかっている」と言う時に、
どこまでわかっていたら
わかっていると言えるのか
というテーマでWHT※をしましたが、
論争の場で、今まさに
カントとニーチェの哲学の争いが
起きていると感じさせられました。
カント哲学は、
現実を大事にしながら
概念を組み立てて、
共有共感を得て秩序をつくる
「秩序の哲学」、
ニーチェ哲学はそれとは反対に、
全てを解体させる
「無秩序の哲学」と整理ができます。
概念哲学はどうしても
古い伝統に依存するので、
奴隷哲学だと
決めつけてしまうのがニーチェです。
すべてをゼロ化し、
無意味の意味と言って、
一番大事に思っている
神のイメージさえも消してしまい、
「神は死んだ」と宣言しています。
これは宗教的な神のレベルではなくて、
すべてに意味付けと
価値づけをしていること自体を
潰してしまうのです。
秩序をつくるために必要な
「記憶」の一つ一つも、
記憶することを可能にさせた、
残酷な拷問による
暗記という背景も全部破壊させる、
ダイナマイトとも言われているのが
ニーチェの英雄哲学です。
令和哲学は無知の完全性を言っています。
今までの脳の観点の中では、
本当に「わかっていること」は、
ひとつもないのです。
すべて条件によって変わる
条件づけの世界であり、
観点の結果物でしかありません。
真実と出会い、
わかっている世界から自由になった上で、
カント哲学もニーチェ哲学の論理も融合し、
新しい生き方を案内するのが
令和哲学カフェが目指す哲学です。
※言葉の意味を解説する用語集ができました!
https://reiwaphilosophy.com/community/knowledge-base/words/
次回の令和哲学カフェは、
8/7(金)21時から開催します。
どうぞお楽しみに!