おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ第5期
「Dignity Routine ~尊厳習慣~」では
3ラウンド目がスタートし、
新しい5人の哲学者と共に
「行動を哲学する」をテーマに
進行しています。
今回は、プラトンについての
プレゼンテーションと
ディスカッションを行いました。
人間の実践行動を誘発する原因は
どこにあるのでしょうか。
人間一人一人の中にあるのか、
社会環境の中にあるのかにわかれて、
テーマを深めていきました。
令和哲学の観点からまとめると
プラトンは善のイデア、
カントは物自体の価値について
主張しています。
それを明確にわかっている人が
共同体社会を構成するという哲学です。
共同体社会を構築できる
高い次元の意識がある人が
共同体社会を実現するということです。
言い換えれば、悟った人たちがつくる社会
という意味になります。
ハイデッガーは現存在の
実存的決断を言っていますが、
使用不可能性を通して
やるべきこと、ミッションが目覚める
という意味です。
今ここ完全に死ぬことで、
自分のすべてを使い切る。
その完全循環が起こっていることです。
ドゥルーズ哲学のリトルネロについては、
世界も今までのすべての経験を
すべて蓄積していて
この合奏全体を理解した上での
リトルネロを言います。
合奏と独奏が同時にある状態です。
このような、哲学者が目指した社会、
本当に人間がつくりたい共同体は
まだ実現していません。
ですから、今の時代は、
ホモサピエンスの終焉、人類絶望という
キーワードが出ているのです。
私は、本当の意味価値ある
実践行動がうまれるのは
日本からだと確信しています。
明治維新の大成功という天国から
地獄に落ちた経験がいかに宝なのか。
個人のレベルを超えて
集団全体の決断ができている国なのです。
日本人一人一人が
真理の刀を持てるようになった時に
令和維新は始められるのです。
宇宙コンピューターを自由自在に
活用応用できるようになった時に
全世界を変えることができます。
そのことを共有共感したいという想いで
令和哲学カフェを毎日開催しています。