おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ第5期
「Dignity Routine ~尊厳習慣~」
現在は「SAMURAIを哲学する」
がテーマです。
5人の21世紀SAMURAIたちが
各曜日を担当しながら
宮本武蔵、新渡戸稲造、坂本龍馬、
吉田松陰、山本常朝(葉隠)を深めていきます。
木曜日は原田卓さんが担当です。
10月8~10日に北海道で開かれた
Dignity2.0国際カンファレンスについての
感想の共有のあと、
吉田松陰とSAMURAIの涙という
テーマについて深めていきました。
吉田松陰が獄中で書いた
黒船密航の動機と思想的背景が記してある
『幽囚録』に蝦夷地に関しても記述があり、
北海道とも繋がっていたことがわかりました。
そんな吉田松陰の涙と
北海道開拓のSAMURAIの涙の
つながりとはなんでしょうか。
明治維新では、
侍が命より大切だった刀を手放して
西洋を受け入れました。しかし、
刀を最後まで大事にした人は罪人となり、
人が住めない北海道の荒れ地を
開発・開拓に行きました。
そこには色々な思いがあったと思います。
日本の一番大事にした刀を手放して
大丈夫だろうかという心配や
武士道の国、日本としての
プライドもあったと思います。
人の住めない土地を500万人が住めるように、
道なき道をつくった北海道開拓の裏には、
罪人になっても
何が何でも武士道を守りたいという
日本の心の世界を大事にする
意思があったでしょう。
必ず子孫たちが
自分たちの血と汗と涙でつくった
北海道に住めるようにと、また、
その人たちに武士道の世界を
残そうとしたのではないでしょうか。
北海道に住む人には
SAMURAIの涙を伝達し、
武士道を完成させてほしいという
樺戸の侍たちの願いも込められているのです。
この願いと思いが伝わる人が
絶対北海道に来るに違いないという
開拓の魂が眠っています。
みなさんも是非
樺戸(月形樺戸博物館)に行って、
刀を大事にした侍の涙と一つになることで
心をシャープにしていきましょう。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。