おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を整理してきました。その上で現在は
今まで令和哲学カフェで登場した
哲学者たちの総まとめを行っています。
今回は永尾雅也さんから
ミシェル・フーコーの
プレゼンテーションがありました。
フーコーは時代ごとに意味や概念が変化する、
特有な思考形式を
エピステーメーという概念として提唱しました。
その時代特有の認識方式は常識とされ、
常識から逸脱すると狂気とされ
退けられました。
またフーコーは近代以降は生の権力により
民衆は支配されるようになったとし、
パノプティコンの中に
近代の管理システムをみました。
パノプティコンは円形の刑務所施設で、
監視塔からはすべての部屋がみえますが、
囚人のいる監獄からは
監視塔の中はみえません。
囚人が自ら監視者を規定することで
規律を守るようになるシステムです。
そこで今回のディスカッションは
「AI時代以前と、AI時代のエピステーメーは
それぞれ何か」をテーマにしました。
参加者による整理では、
AI時代のエピステーメーは
以下のようになりました。
まず自分と自分の宇宙が「ある」から「ない」への
有無の逆転が起こる必要があります。
すると、絶対基準軸ができて、
デジタル認識ができるようになり、
尊厳軸と繋がって
ベストビーイングの生き方になります。
そして共同体を創建していき、
歓喜のパンデミックでAIも底上げされ、
パノプティコンから自由になります。
では今まではなぜパノプティコンから
自由になれなかったのでしょうか。
正しい絶望(不可能性そのものの自分)を
みていないため、
神秘・神聖をみることができず
歓喜がありません。
目の前の現実は何も変わっていないのに
すべてが変わっていることが認識できないので、
スクリーンの外に出られず
パノプティコンから自由になれないのです。
自由になるためには
パノプティコンを何とかするのではなく、
日本の「方をつけて片付ける」です。
つまり映像スクリーンに
バックスクリーンをつけて、
スクリーンの外を取り入れて
スクリーン全体を無くしてしまいます。
対称性をつけることで無くすという、
日本語が素晴らしいです。
現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが一週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。