【20121106】 主語と述語の因果関係を超える世界

おはようございます。Noh Jesuです。
このメールマガジンでは、「和の産業」「悟りの産業」を実現するためのキーワードを毎日発信しています。

先日から「世界を救う日本の和心」をテーマに配信しています。

考えはあるけど考えている人はいない。
歌はあるけど歌っている人はいない。
笑いはあるけど笑っている人はいない。
行動はあるけど行動する人はいない。

この世界観をどう受け入れることができるのでしょう?

例えば「私が考えています」という一文を主語と述語で分ければ、主語は「私」、述語は「考えています」となりますが、そもそも暗記言語で存在に名前をつけたすべての主語は部分のイメージです。宇宙空間すべてを原子の成り立ちで捉えれば、主語である「私」は原子構造の結果であり、名前を付けた世界はすべて錯覚です。

「私が考えています」ということは、「原子構造によって原子構造が考えています」ということです。原子構造が考えるためには、すべての原始構造が連動しなければなりません。実は、宇宙のすべてが協力してはじめて聞くこと、話すこと、歩くこと、考えることができるのです。

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