【20210701】他者はどのように生まれるのか 令和哲学カフェNo.266

おはようございます。ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ第3期の第3弾
「多様を可能にする究極の一様
~性は持つものではなく使うもの~」
を開催しました。
一昨日も、ナビゲーター荒牧明楽さんによる
プレゼンからスタートしました。

今回は、現代哲学の王と呼ばれる
フーコーを取り上げ、詳しくみていきました。
カントやニーチェは
主体を語る哲学だったところから、
フーコーは、はじめて他者を語りました。

「自分」は、自ら分けると書いて
「自分」になります。
宗教の神より9000兆倍凄すぎる自分が、
自ら分けて、錯覚の自分を生み出しています。
自分が生まれたら、
他者はどのように生まれるのでしょうか。
それは、言葉によって生まれています。

すべてが分離できない繋がっているところから、
言葉を投げて、言語の構造によって、
事物が誕生します。
言語によって人間の精神も、
考え・感情・感覚までもつくっているのが
言語のパワーなのです。

わかりやすく説明すると、
日本では犬が「わんわん」と鳴きます。
アメリカでは「バウバウ」で、
韓国では「ワウワウ」と言います。
その言葉を聞いていることで、
そのように聞こえる感覚が育っているのです。

言語化をすることができたアバターが、
人間ゲームを楽しんでいるのです。
つまりは、他者は分けられた自分となるのです。

本当の主体から思い込みの主体と
思い込みの世界が生まれて
人間ゲームがスタートとなりますが、
どう分けて、どう言語化するのかによって、
シミュレーションが変わってきます。

多くの人が賛同する
ビジョンストーリーを描くことで勢力をつくり、
それができたときに、
シュミレーションも変えることができるのです。

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