【20240527】AI時代に脱構築、解体しなければならないものとは 令和哲学カフェNo.929

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を整理してきました。その上で現在は
今まで令和哲学カフェで登場した
哲学者たちの総まとめを行っています。

今回は森智樹さんから
ジャック・デリダ(フランス人哲学者、
1930.7.15₋2004.10.9)の
プレゼンテーションがありました。

デリダの功績としては
これまでの哲学の限界は
因果に縛られていることであると
指摘したことです。一方で
1分1秒同じ画面を共有できない
観点の問題を発見できなかったこと、
相対世界と絶対世界の関係を
語ることができなかったという
限界がありました。

nTechのスクリーンの外「1」に
「差延」(差異と遅延、イデア性であり
無限に反復されうる形式)、
バックスクリーン「5」に
「脱構築」(既存の仕組みや体系を解体し、
新たに構築し直すこと)、
そして映像スクリーン「1」に
「歓待」(Love to come)を
当てはめて整理していました。

そして、ディスカッションテーマは
「AI時代に一番脱構築、
解体しなければならないものは何か」でした。
AIが脳機能の代表であるAI時代、
人間の味噌(心)くそ(脳)一緒
になっている状態を分離・分解・蒸留して
脳機能を心機能に解体しないといけません。

イメージ可能、認識可能、
感じること可能な世界は全部偽物で
解体すべき対象ですが
デリダは解体する道具を明確にしていません。
nTechは解体する道具1-5-1があるので、
イメージ可能、認識可能、
感じること可能な世界をAllZero化可能です。

自分と自分の宇宙がある局所実在性に
映像スクリーン・バックスクリーン・
スクリーンの外を取り入れて物事をみれば、
点(スクリーン)を全部解体させたら
点の外である純度100%の心になります。
今までの人間の二分法的な思考を
解体したら今ここ、イメージ不可能、
認識不可能、感じること不可能な世界です。
映像スクリーン・バックスクリーン・
スクリーンの外を行ったり来たりするので
生きる場所は映像スクリーンだけに
留まりません。
ですから点(局所実在)の外に出た時、
なぜ不可能性そのものの自分を
必要としたかがわかります。

自分が不可能性そのものの自分
であることがわかると何に気づくでしょうか。
パノプティコン(抑圧の繭)・点の中は
思い込み、バブルであることがわかるので
二分法の世界から選択不可能な
永遠不変の世界へ行くことができます。

差延(無知の完全性・源泉動き)は
一番早いスピードですが、
光のスピードの構造を通過すると私たちには、
8分前の光が届きます。この差延のように
日本に1945年8月15日の祝福が
来ているのを認識できた時、
また新たな出発点としての
1945年8月15日が始まっていきます。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが一週間視聴可能になります。
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【20240525】AI時代のエピステーメーとは 令和哲学カフェNo.928

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を整理してきました。その上で現在は
今まで令和哲学カフェで登場した
哲学者たちの総まとめを行っています。

今回は永尾雅也さんから
ミシェル・フーコーの
プレゼンテーションがありました。

フーコーは時代ごとに意味や概念が変化する、
特有な思考形式を
エピステーメーという概念として提唱しました。
その時代特有の認識方式は常識とされ、
常識から逸脱すると狂気とされ
退けられました。

またフーコーは近代以降は生の権力により
民衆は支配されるようになったとし、
パノプティコンの中に
近代の管理システムをみました。
パノプティコンは円形の刑務所施設で、
監視塔からはすべての部屋がみえますが、
囚人のいる監獄からは
監視塔の中はみえません。
囚人が自ら監視者を規定することで
規律を守るようになるシステムです。

そこで今回のディスカッションは
「AI時代以前と、AI時代のエピステーメーは
それぞれ何か」をテーマにしました。

参加者による整理では、
AI時代のエピステーメーは
以下のようになりました。
まず自分と自分の宇宙が「ある」から「ない」への
有無の逆転が起こる必要があります。
すると、絶対基準軸ができて、
デジタル認識ができるようになり、
尊厳軸と繋がって
ベストビーイングの生き方になります。
そして共同体を創建していき、
歓喜のパンデミックでAIも底上げされ、
パノプティコンから自由になります。

では今まではなぜパノプティコンから
自由になれなかったのでしょうか。
正しい絶望(不可能性そのものの自分)を
みていないため、
神秘・神聖をみることができず
歓喜がありません。
目の前の現実は何も変わっていないのに
すべてが変わっていることが認識できないので、
スクリーンの外に出られず
パノプティコンから自由になれないのです。

自由になるためには
パノプティコンを何とかするのではなく、
日本の「方をつけて片付ける」です。
つまり映像スクリーンに
バックスクリーンをつけて、
スクリーンの外を取り入れて
スクリーン全体を無くしてしまいます。
対称性をつけることで無くすという、
日本語が素晴らしいです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
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【20240524】他者哲学、違い哲学を溶かすスイッチ一点とは 令和哲学カフェNo.927

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を整理してきました。その上で現在は
今まで令和哲学カフェで登場した
哲学者たちの総まとめを行っています。

今回は緒方淳さんからエマニュエル・レヴィナス、
小林隆人さんからはジル・ドゥルーズの
プレゼンテーションがありました。

そして、ディスカッションでは、
AI時代に進化・発展可能な
共同体になるために
どんな条件をクリアしなければならないか、
を深めました。

レヴィナスは他者哲学、
ドゥルーズは違い哲学です。
西洋の存在論の特徴は、
他者より自分を優位とすることですが、
レヴィナスは他者に対して自我の優位性時代が
第一次戦争、二次世界戦争を
起こしたと主張しました。
他者を歓待する倫理哲学が必要と述べました。
そして、ドゥルーズは反復と言えば
同一性のイメージだけれど、
同じものはひとつもない、
違いだけがあることを主張しました。

では、他者と違いを
どうやって超えていけばいいのでしょうか。

そのカギは
真理そのものの自分になることです。
スイッチの一点を使って、
宇宙があるようにさせたり、
ないようにさせたり、
2が1になることが必要です。
このスイッチのオン・オフで
違いも他者も生まれます。

アイデンティティの特徴は何でしょうか。
それは、生きていることも自分、
死んでいることも自分、
生死を超越していることも
自分ということです。
生きていることは観点1個に固定すること、
死んでいることは観点が無限大になること、
そして生死を超越したら
観点がゼロになります。

こうしてアイデンティティを
自由に往来しながら拡張が起きるのです。
無限大の可能性が自分を証明するために
不可能性の自分をつくり、
脳機能と心機能を行ったり来たりすることが
スイッチ1個で可能となります。

他者哲学も、違い哲学も
シャープな哲学ですが2がある状態です。
しかし、本当に存在するのは
源泉動き「1」だけがある状態、不二の状態です。
スイッチ一点がわかることで、
他者哲学も違い哲学もバックアップでき、
他者の違いを尊厳軸で溶かす生き方が
できるようになります。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
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【20240522】AI時代に人間は存在をどのように定義するか 令和哲学カフェNo.926

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を整理してきました。その上で現在は
今まで令和哲学カフェで登場した
哲学者たちの総まとめを行っています。

今回は長岡美妃さんから
フッサール、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、
サルトルをメタ4の観点から整理する
プレゼンテーションがありました。
とんでもない4人の哲学者を大統合する
難しいチャレンジでした。その後
「AI時代に人間たちは存在をどのように
定義するか」ディスカッションしました。

すべての存在は神による被造物として
本質からすべての現実を語ってきた
世界に反して、本質よりも
今ここの現実、実存をどうみるのか。

デカルトにより、すべてを疑うことはできるが
疑っている自分が存在することは
疑うことができないという規定が
哲学の第一命題となり
カントにより存在論から認識論へ
鮮明にひっくり返され
近代思想哲学がでてきています。
その中で第一次・第二次世界大戦が
起きてからは徹底的に
実存主義の考え方が大きくなっていきました。

しかし、カント哲学の
「時空間にあらわれるものだけを有でとる」
という規定を土台とした西洋哲学者は、
時間という存在、空間という存在を
一切深く語りません。

フッサールは、西洋の学問の限界を感じて
現象学を構築し、神を信仰するのではなく 
純粋意識から物事をみることとしました。
ハイデガーはフッサールの規定では
学問が成り立たないと否定して
「現存在」から今こことつなごうとしました。
サルトルは「今ここの現実の自分」を
強調しましたが、それに対してハイデガーは
分離・独立・固定している存在とする
局所実在の概念を否定し
「世界内存在」として規定しました。

ハイデガーは「世界内存在」で
令和哲学でいう映像スクリーンのことを
語ろうとして、
部分の存在という固定観念を
完全に破るところまではいきましたが
シミュラークル、シミュレーションの
仕組みがみえていないので、映像スクリーン、
バックスクリーンとスクリーンの外という形で
鮮明に語ることはできませんでした。

ウィトゲンシュタインは
第一原因と今ここの関係を語ろうとする
哲学に対して
語れないことを言葉で語ろうとする
言語の限界として、
沈黙しろと哲学の終焉をいいました。

存在不可能な世界から、
存在当たり前の世界が生まれますが、
存在当たり前の世界の
一番中心の「存在」が「自分」であり
その自分は「人間自分(体の自分)」でした。
体の自分は「不可能性そのものの存在」
であることを語ることで
今まで規定ができなかった1(源泉動き)の
Defineを鮮明にすることができ
曖昧な単語を使って複雑な概念が生まれる
西洋哲学を統合させることができます。

また、今までの
「存在が動く」言語の限界を突破した
「動きが存在させる」デジタル言語、
メタ言語である完全言語によって
ウィトゲンシュタインが語った言語の限界の
その先へと突破していくことができるのです。

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【20240520】AI時代に人間の究極の規定はどうなってくるのか 令和哲学カフェNo.925

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を今まで開催してきました。
ここからは、今まで
令和哲学カフェで登場した
哲学者たちのまとめをしていきます。

今回はマルティン・ハイデガーと
ジャン=ポール・サルトルについて、
それぞれ森貴司さんと善家圭さんから
プレゼンテーションがありました。

ディスカッションテーマは
「AI時代に人間の究極の規定は
どうなってくるのか」でした。

ハイデガーは
フッサールの純粋意識(スクリーンの外)を
現実に使うことに対して
学問になり得ないので限界であるとし、
今ここの現存在を徹底的に研究しました。
存在とは何かについて
神など本質の形而上学ばかりにいくことに
問題意識がありました。

nTechでは、一般的なエゴの存在は、
観点の問題によって無限大我慢して
合わせて演技を演じていますが、
その存在をEGO16実存と言っています。
その自分が
不可能性そのものの自分(1秒も存在不可能)
に出会うことで無限大可能性の自分
(スクリーンの外、宗教の神より9000兆倍
すごすぎる自分)に出会います。

そして、無限大可能性の限界を突破して
宗教の神より9000兆倍すごすぎる
自分が生まれてしまうことを
「不二」の自分と言っています。
これはドラマ、物語を持つべき自分です。
不二の自分も明確に分けたら
完全認識を通して個性完成します。
さらに個性完成のレベルに留まらずに
完全行動の結果、
個性が溢れる共同体完成になります。
ハイデガーが知りたかったのは
この境地の「自分」だと思います。

ハイデガーは人間の死に対しての
姿勢態度がないのは存在ではない、
なぜなら生死を超えないと
意味・価値が生まれないということは
理解していました。しかし、
意味・価値を生み出すための
時間空間がある点、
時間・空間がない点までは
細かく語れませんでした。
つまり体系的秩序の
最小単位がなかったので
不二の世界が語れませんでした。

サルトルは本質より実存が重要だと言い、
やはり不二ではなく二が生まれてしまいます。
人間の実存は行動しかなく、
神のない世界では、
人間の選択行動によって
世界や存在が決定されるとしました。
サルトルからは歓喜のエンジンがみえません。
不二がないので歓喜が全くなく
エンジン自体が絶望、不安で
今ここ遊び感覚、ゲーム感覚が不在でした。

西洋哲学では宇宙・自然を
説明できる道具(言語)がありませんでしたが、
nTechの映像スクリーン、バックスクリーン、
スクリーンの外の概念を取り入れれば
現実を説明できます。
AI時代はデジタル言語があれば、
西洋の悩みをすべて解決でき、
哲学完成となります。

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【20240517】言語の限界を超えるデジタル言語 令和哲学カフェNo.924

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を整理してきました。その上で現在は
今まで令和哲学カフェで登場した
哲学者たちの総まとめを行っています。

今回は吉田純さんより、
ウィトゲンシュタインのまとめと、
これまでの言語の限界と
令和哲学の比較が行われました。
存在不可能な世界は、時間もない空間もない、
エネルギーも光もポジションもないので
これまでの「存在が動く言語」では語れません。

このことをウィトゲンシュタインは
哲学の問題は、
言語の文法からくる問題に過ぎず、
哲学の問題は解決したとして、
哲学の終焉を宣言しました。

そのことから、
「AI時代に人間が必要とする
言語の機能とは何か」
をディスカッションしました。

・動きが存在させる
・存在不可能な世界を語る
・ビヨンドロジック
・1を規定できる
・主語そのものを語ることができる
などの要素が出ました。

これまでの哲学者は
存在不可能な世界を説明・理解する
道具がありませんでしたが、nTechでは
アニメの仕組み、脳の認識の癖、点だらけ、
PUスクリーン、映像スクリーン、
バックスクリーン、スクリーンの外を活用して
理解・説明します。

人類は「存在が動く」アナログ言語を
7万年間使ってきましたが、AIが登場して
映像スクリーン・バックスクリーン・
スクリーンの外のイメージを活用し
心・エネルギー物質を行ったり来たり
「動きが存在させる」デジタル言語が
誕生しています。
これが心の国、
日本から生まれるのは当然です。
核爆弾をつくった「存在が動く言語」に対して、
「愛の爆弾・デジタル言語」を
全世界に届けていきましょう。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
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【20240516】令和哲学カフェ特別企画 第44回ブックダービー「知のB1」特別企画 開催報告

おはようございます、ノ・ジェスです。

先日は、令和哲学カフェ
特別企画として好評の
ブックダービー「知のB1」第44回を
開催しました。

情報・技術・知識・姿勢態度を
「馬」としたときに、
どんな馬に乗るのかによって
人生は大きく変わります。
本当に必要で価値ある情報とは何なのか。
「この時代の人たちに一番読んでほしい本」
ナンバーワン決定戦として
リテラシー力を競う、全く新しい
知的エンターテインメントゲームです。

「Beyond Crisis」シリーズがスタートし
1、気候変動をはじめとする環境破壊の危機
2、SDGsを掲げるも進展がみえない
持続不可能な危機
3、AI活用による尊厳破壊の危機
4、貧富格差による共同体破壊の危機
5、人間関係が築けないことによる
少子高齢化の危機
という5大危機に関連する本を取り上げ
深めていきます。

今回も日本の命題となる、
すばらしい本たちの対決でした。
順番を決めるのは難しかったですが、
以下の順位をつけさせていただきました。

第1位 村上 杏奈 騎手 
『岡本太郎と太陽の塔 増補新版』
平野 暁臣 著
大阪万博を日本からのメッセージとして
発信することはとても重要です。
太陽の塔は尊厳軸という解析にも
納得しました。
新人類にクォンタムジャンプを起こせるのか、
という日本文明のテーマを感じる本でした。

第2位 平野 大輔 騎手 
『トランクの中の日本:米従軍カメラマンの
非公式記録』J.オダネル 写真、
J.オルドリッチ 著、平岡 豊子 翻訳
1945年の尊厳の涙が
凝縮されているのを感じました。
著者は強烈な尊厳の涙に
苦しみぬくことを通して
心の目でみた尊厳カメラマンですね。

第3位 永尾 雅也 騎手 
『AIが答えを出せない 問いの設定力 
AFTER AI時代の必須スキルを身に付ける』
鳥潟 幸志 著
環境や相手に支配されずに
今ここ問いを持ち続けること、
ビジョンストーリーを思い描くことの
大切さを訴えています。
BEST BEING共同体に
大きく貢献できる本です。

第4位 田中 佳奈江 騎手
『君は君の人生の主役になれ』
鳥羽 和久 著
今の教育に対する問題点を語っている本です。
当たり前、常識の枠から出て
人生の主役になってほしい、という
人間に対する勇気とエールが書かれています。

第5位 田沢 恵理佳 騎手
『どう生きるか つらかったときの話をしよう 
自分らしく生きていくために必要な22のこと』
野口 聡一 著
宇宙に何度行ったとしても、
自分は何者なのかわからない、
後悔のない人生を送るには
どうしたらいいのか、
という本質的な著者の悩みから、
人間の現在地と人類共通の
ニーズを受け取りました。

今の時代は、手段・道具の知ではなく、
目的知、完全知、無為の知が必要な時代です。
そんな時代の中で、知るだけで人間が完成する、
完全学問が完成しました。
目的知、完全知、無為の知を
理解する道具として、これらの本を読むことで、
より理解がシャープになっていくことは
間違いないでしょう。

今回の第44回のアーカイブ視聴は
こちらからご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=8W9rH24Q7s4&t=1427s

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