おはようございます、ノ・ジェスです。
令和哲学カフェはBEST BEING塾を
今年中に10300校つくるという流れから
月曜日がスタートしました。
8ラウンドでは完全学問・完全教育を
具現化させていくBEST BEING塾の
あり方・思い方・やり方の哲学を
深めています。
今回のシリーズでは
『NEXUS 情報の人類史』と
BEST BEING塾の有り方・思い方・
やり方哲学をメタ4させていきます。
第7回目は、第4章 誤り――
不可謬という幻想(魔女狩り産業から)
について塩見典子さんから
プレゼンテーションがありました。
中世の魔女狩りは、実在しない魔女を
人々が信じることで現実化した
「共同主観的現実」の典型であり、
官僚制は文書によって
誤った前提をも制度化しました。
一方、科学革命は「人間は誤りうる」
という前提を受け入れ、
検証と修正を繰り返す
自己修正の仕組みを生み出しました。
宗教が絶対的な真理を掲げ
秩序を守ったのに対し、
科学は誤りを通じて真理を追求します。
誤りを力に変える科学の姿勢は、
人類が「自己修正」と「秩序維持」を
どう両立させるかという
現代的課題を浮かび上がらせました。
今回のディスカッションテーマは
「秩序をつくるためには不可謬か可謬か
nTechは不可謬なのか可謬なのか」 でした。
nTechは可謬不可能なところから、
可謬が可能になる仕組みを
1-5-1で証明しています。
一元の動きは本来、
誤り(可謬)が不可能なものです。
しかし、自分を知るためには
「可謬」という観点が必要となります。
nTechでは、終わりなき自己否定を通して、
可謬を経由しながら
不可謬を経験する仕組みを解明しています。
これまで「存在」は不可謬とされてきましたが、
それが可謬であることを証明するのが
「1-5-1デジタル言語」です。さらに、
nTechは「境界線・基準点のない世界」から
「境界線・基準点が生まれる仕組み」
を整理することで、
可謬・不可謬の両方を超えて楽しめる
“真の不可謬”を提示します。
不可謬は完全・完璧な天国のようなものですが、
そこから自ら可謬という最悪の地獄を
つくり出すこともできます。
その両極を楽しめるのが
「動きだけがある世界」なのです。