【20240814】純粋経験を可能にする死の完成 令和哲学カフェNo.939

おはようございます、ノ・ジェスです。

毎週金曜日に開催される
令和哲学カフェは、第2ラウンドとなり
脳機能を心機能化させるnTechの観点から
「死」を新しく解析していきます。
ハイデッカー、キューブラー=ロス、
西田幾多郎、釈迦の死の世界と
これらをまとめるメタ4で整理します。

第939回は、長野広樹さんより
西田幾多郎について
プレゼンテーションがありました。

西田幾多郎は1870年から1945年を生き
「西田哲学」を誕生させ、
日本初の本格的な哲学書
「善の研究」を出版した哲学者です。
「人生はトラジックである」という言葉を残し、
彼の哲学は「死とは何なのか、
生きるとは何なのか」を追究し
「絶対矛盾的自己同一性」を唱えました。

ディスカッションテーマは
「AI時代に死をどうディファインするべきか」
でした。

AI時代は死なない時代となり、
純粋経験の永遠の経験ではなく、
五感覚の永遠の経験へ向かっています。

生きることは自分の主体性とは
関係なく生まれます。
死ぬことは自分で選択ができます。
その死を一番主体性・自発性・
能動性ある死に方へと案内するのが
nTechです。

生死もない安全プレートを
提供した上で今ここ生死を繰り返し、
一番速いスピードで
始まりと終わり・生死がない世界から
スピードを落とすことで
始まりと終わり・生死が生まれます。
このことで生き方ではなく
死に方を設計する時代になります。

今ここ死んで生まれることがわかることで
死を恐れない生き方が可能になり、
侍のように自分のエネルギーを
無限大使い切って
勝負することができます。
日本は武士道からわかるように、
特に死を恐れない生き方が
活躍しやすい文明を持っています。

そして、日本は1945年8月15日に
日本の考え・感情をすべて手放して
オールゼロ化・完全死しました。
純度100%心になった日本は
1億3千万人が泣くことで
生死がない新人類になります。
しかし、日本がこのままで終わると
人類滅亡に向かってしまう
岐路の時代に私たちはいます。
だからこそ生死がない安心・安全のプレートを
もった状態ですべてを使い切りましょう。

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