【20210811】ゲーム産業と哲学 令和哲学カフェNo.292

おはようございます。ノ・ジェスです。

パンデミックの中でのオリンピックが
無事に終わり、これから日本が
どのように心時代を具現化していけるか、
令和哲学カフェも
アクセルを踏んでいきたいと思います。

先日は、
令和哲学カフェ第3期の第6弾
「今ここ最幸の遊び革命
~Recreate家族☆Recreate市民☆
Recreate国家☆Recreate宇宙へ~」
6日目を開催しました。

人間のキーワードは出会いです。
出会いの質と量を高めるために
車、船、飛行機など
移動手段を活性化させながら、
多くの出会いのつくり出す変化を楽しみ、
幸せ成功モデルをつくってきました。

移動手段の革命時代から
接続手段の革命に移り、
今はインターネットに接続することで、
多くの人に出会えますし、パソコンよりも
スマートフォンのモバイル接続で
もっと多くの人と繋がることができます。
さらに繋がるだけでなく信頼関係をつくって
自然にゲームをするように楽しくさせるのが
ネット上の3次元仮想世界、メタバースです。

哲学の目線からみたらゲーム産業は
一体何を訴えているのでしょうか。
ゲーム自体は、真理を隠す道具です。
真理は隠されたものを明らかにして、
全体像をわかるようにしてしまい、
真理の時代に突入していきます。

つまり
メタバースによって、人間が体感覚から
ゲーム感覚に移動することは、
ゲームが、アバターが何なのかがわかって、
現実に戻っても、
源泉動きに接続することで
この現実もゲームであり、
体自体も本物の自分ではないことが
誰でもわかるようになります。

ゲームであることがわかってしまったら、
本物の自分探しがおきやすくなり、
自然とnTechがわかるようになります。
メタバースは服を着せて、
アバターで生きるようにさせてしまいますが
令和哲学の準備するモルティングバースは
反対に服を脱ぐようにさせて、
現実が人間ゲームであることを
鮮明に理解させ、
現実で心すっきり楽しめるようにさせます。

カントは、物自体、実在しているものは
人間は語れないといいましたが、
語る世界も実は真理が隠されているし、
語れない世界も真理が隠れています。
真理は自由に往来するものです。
ヘーゲル哲学は
心の動きも脳の動きも正反合で
同時に語ってみせたのです。

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