【20231122】スピリチュアルの限界とは 令和哲学カフェNo.821

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ7期では10月30日より
さらに新しいテーマが始まりました!
新しいSAMURAI5人と共に
「精神とは」を深めています。

月曜日の侍は小林隆人さんです。
今回はスピリチュアルからみる「精神とは」
をテーマにプレゼンテーションや
ディスカッションが行われました。

一般的なスピリチュアルの限界を
令和哲学ではどのように
補っていくことができるでしょうか。

現実を肯定してきたこれまでの時代は、
時空間に現れるものを有と規定して
時空間に現れないもの無としたうえで
時空間に現れるものだけを研究するのが
真理でした。

「あるものはある、ないものはない」という
有無に対するディファインが
哲学の第一原理ですが
令和哲学では
何かに依存して存在するものは無
とディファインをしています。
バブル・泡沫・排泄物・映像スクリーン
などといってます。
そして、何にも依存せず
自ら存在するものが有です。

それは源泉動き、一番速いスピードです。
ここに依存して二番目のスピード、
三番目のスピード、と生まれます。
依存体系の整理が起きないと
知っている世界から自由になれません。

私は、スピリチュアルでは、
有と無を明確にするべきだと思います。
また体系を鮮明にする必要があります。
あるものがないようになったり
ないものがあるようになるのは
認識疾患です。
あるものはある
ないものはないのです。

また、一般的なスピリチュアルでは
ありのままでいいという癒しを与えますが
それによって主体性・能動性が
持続できるのかといえば、
そうはならないという問題もあります。

これからの時代は
AIが脳機能の100万倍どころか
1兆倍の進化をしていきます。
その時代に、今のスピリチュアルでは、
対応できません。
主体性・能動性を持続的に持ち、
学びたい気持ちになることで
人間の尊厳は具現化していきます。
ですからスピリチュアルも完全学問化へと
進化をするスピリチュアルが必要なのです。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが1週間視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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