【20191113】(ネタバレ含む)映画「ジョーカー」を通して~生きること以上に価値がある死とは何か?

おはようございます。ノ・ジェスです。

本日も、心が痛まない社会を創る
リーダーを応援するメッセージを発信しています。

■■コラム (ネタバレ含む)映画「ジョーカー」を通して~生きること以上に価値がある死とは何か?

先日公開された
映画「ジョーカー」が世間では話題になっています。

その理由の一つとして、
主人公アーサーの精神状態が、
多くの現代人にとって共通する部分があり、
オーバーラップしやすいからだと思っています。

現代は宇宙が一つ実在している価値観から
宇宙が無限大に有ったり無かったりする
量子力学的な価値観へと移行している時代です。

精神状態も不安定になりやすい
価値観の大転換の時代であると言えます。

この映画の冒頭に
「この人生以上に硬貨(高価)な死を望む」という言葉が出てきます。

生きることよりも価値のある死を望む
とはどういうことでしょうか?

主人公アーサーの悲惨で残酷で
屈辱的な報われない人生は、
極端な貧富の格差を生んでいる
個人主義の限界を現わしているとも言えます。

仮面をかぶって我慢をし、
強者の秩序に合わせていた
全体主義の時代から
仮面をかぶって爆発をする
個人主義の限界モデルが
悪のカリスマ「ジョーカー」を通して映し出されています。

善悪の基準はすべて個人の主観で決定する
弱肉強食の汚い世界の中では、
誰もが人の話や心の声に
耳を傾けることもなく、
お金も力もない人々の論理は通じません。

信頼関係を築くこともなく、
自分が存在しているのかさえも
わからないほど、存在感を得られずに
生きるしかない人生ならば、
そこに生きる意味はあるのでしょうか?

生きることよりも死ぬ方がよっぽどいいじゃないか!

そうジョーカーは訴えています。

お金と力を持っている人のために我慢をし、
つくる秩序を全部破壊して、我慢せず、
無限大に爆発する必要があるのだと
未来のアメリカの姿をみて、私は身震いをしました。

この映画の根底にあるものを
悟りの世界からみてみると、
「有」より「無」の方が価値ある時代であり
「模様・形がある世界」よりも
「模様・形がない世界」の方が価値がある、
「イメージ可能な世界」よりも
「イメージ不可能な世界」の方が
価値があるとnTech(認識技術)では解析します。

そして、破壊して死ぬだけではなく、
「生きたままで死ぬ」ことに本当の価値があるということ。

死んでもカルマが蓄積されるだけで
生まれ変わったときに
もっと酷い環境と出会うようになっています。

人間はみな、心がジョーカー状態です。

お金がなければ特に悲惨で惨めで
残酷な状態となり、一歩間違えば、
みんながジョーカーになり得るのです。

何が本物で何が嘘かもわからなくなる、
実は、今ここが最悪の地獄であるという認識が必要です。

善も悪もない、
脳の限界から自由になり、
知っている世界からも自由になって、
全体主義や個人主義の限界をも超えた
共同体主義として、仮面を外して無限大アウトプットする。

社会の上部構造(強者)と下部構造(弱者)の
両方が無限大アウトプットできる美しい
Win-Win All Win の道をどう創ればよいのか?

この映画が訴えかけている
哲学的本質となるメッセージだと思っています。

模様・形・大きさがない
源泉的な動きそのものになりきって表現する
その世界こそが真に美しい時代なのです。

本日も読んでくださり
ありがとうございました。

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