【20200610】令和哲学カフェ~連日開催中!1期テーマ「美学」No.12

おはようございます。ノ・ジェスです。

昨日は、第12回令和哲学カフェが開催されました。

毎回多くの方に
ご参加いただきありがとうございます。

今回は、昨日のテーマ
「騙すvs騙されるのは好き?嫌い?
なぜそう思うのか?」に対しての整理と、
哲学の整理を質問道場形式で行いました。

人生は騙す・騙されるのゲームです。

なぜなら、人間一人一人の持っている
観点、判断基準はエラーだらけだからです。

私たちがみている現実の結果物自体が
エラーデータのベースで
成り立っているのであれば、
その結果物に騙されていると整理できます。

哲学に対しては、カントは
経験論と合理論の2つを制圧しましたが、
令和哲学のJ、0=∞=1を
発見できなかったのはなぜなのか
という疑問から整理してみます。

カントは、人間と人間の宇宙が
存在している側から、
人間の認識形式を発見しました。

しかし、カントは
人間と人間の宇宙が存在しない
ところからの認識ができなかったため、
源泉的動き・1を発見し、
自由自在に使いこなすことが
できなかったといえます。

科学は認識対象を開発し、
哲学は認識主体を啓発します。

認識主体には、
思いこみの主体、事件の主体、
解析の主体の3つがありますが、
この3つの主体がつながって
一貫性を持ったときに、
科学を引っ張っていける
本物の哲学になるのです。

今までは主体が何なのかが
明確ではありませんでしたが、
令和哲学から整理すれば
一貫性を持って
3つの主体を使うことができるのです。

この現実が何なのか
わからない状態では不安しかありません。

この現実の仕組みを理解できたとき、
認識対象によって
騙されていたとわかります。

騙されていたという憤怒こそが、
人間の尊厳に対する憤怒であり、
これからの時代に必要なのです。

ビンの中の仕組みをわかり、
鳥がビンの外に出ることができたとき、
教育で心の時代を開いていく
英雄集団日本になることができます。

次回の令和哲学カフェは、
6/10(水)21時から開催します。

どうぞお楽しみに!

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