【20210923】わびとさび 令和哲学カフェNo.320

おはようございます。ノ・ジェスです。

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【Noh Jesu Special交流会】開催
「デジタル庁発足と共に
デジタル哲学を開闢(かいびゃく)させる
日本文明の挑戦」
9月30日(木)19:00~21:00 @zoom
通常は会員限定の交流会を、
今回特別にオープン!
今のタイミングは日本にとって、
とても重要です。26年間のエキスを
すべて圧縮してお届けしますので
ぜひ関心もっていただけると嬉しいです。
https://peatix.com/event/2903832

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令和哲学カフェ第3期の第9弾
(9/13~9/24)は
「人間一人一人のIDが尊重される社会
~ IDを変化させる鍵とは」のテーマで
細井コウさんがナビゲーターとなり、
千利休を深めています。

利休は人間を
どのように定義したのでしょうか。
参加者のディスカッションでは
人間は、不完全なゆえ、
完全を求め続けてきたけれども
完全になれないことに絶望しました。

しかし利休は完全よりも不完全が
より美しかったと気付き
誰もが不完全という点では
身分に関係なく平等だとわかりました。
その本質の平等から、現実でも
一人一人尊厳を主張できる、まちびと精神で
本当の民主主義の概念を持てる
と考えたのではないか、と整理しました。

続いてわびていく、さびていくを
どう感じるかというテーマを考えました。

無駄なものをそぎ落とした
日常の中の美しさを見出し、
春の桜が一斉に咲いて一斉に散るように、
人間のすべての動きを、
茶道一つだけ残していくことをさび、
茶道一つに集中したらわびといい、
わびさびは表裏一体の関係と言えます。
宇宙・自然も複雑で多様にみえますが、
シンプルな源泉動きだけが実在します。
複雑を0化するのがさび、0化した時に
一つだけ残るもの、これがわびです。

利休は戦国時代に戦争しか知らない世界で、
人間の究極の存在意味は
何なのかを問いました。

利休が人間モデルとして立ち、
すべての人がそこに収れんされていけば、
それはさび、
残った人間モデル1つは
わびと言えるでしょう。

令和哲学カフェでは歴史の1ページとして
zoomで参加された皆さまと
写真を毎回一緒に撮っています。
多くの皆様のご参加をお待ちしております!

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