【20240426】神による人間救済時代から、人間による神救済時代にかえる日本文明の挑戦! 令和哲学カフェNo.913

おはようございます、ノ・ジェスです。

令和哲学カフェ8期では
人間尊厳危機、AI時代、基準点0時代
新しい基準点を必要とする時代
自分の考えで考えたい
核個人時代を生きる心人間がつくりだす
「組織化、勢力化とは」「文化・文明とは」
を今まで開催してきました。
ここからは、今まで
令和哲学カフェで登場した
哲学者たちのまとめをしていきます。

今回は長岡美妃さんからメタ哲学と称して、
パルメニデス・プラトン・デカルト・パスカル
すべてをまとめた解説と、
西洋と東洋の神のとらえ方の違いの
整理がありました。

西洋は認識対象として
万物の外に神をみていますが、
東洋は西田幾多郎が
「独立自全の活動」という、
内の1点にすべてを収斂して
全体への発散を繰り返す中で
神を感じ心が経験する「純粋経験」で
神は見出されるものだと言いました。
そして神の救済が必要とも言いました。

そこから「西洋は人間救済といい、
東洋は神の救済という、
この違いを生み出しているものは何か。
どこから違いが生まれているのか。」
をディスカッションしました。

前提として、西洋では
死んだ後に天国に行くと信じられていますが、
東洋では輪廻転生をしながら
生きたまま死ぬことで
天国へ行くと考えられています。

死と天国の関係性は、
ヒモに錘をつけて回せば
求心力と遠心力が働き
求心力が強ければ強いほど
遠心力も強くなる物理現象に例えられます。

人間の体を持ったまま死ぬという
完全死を求心力とすると、
この完全死ができたら
天国へいくことができますが、
求心力が弱く、中途半端な体の死になると
カルマやエネルギー場に掴まれたまま
それ以上外に出ることができず、
蚕の繭の中にとどまってしまいます。

この完全死を全うするためには、
まず自分がカルマの中、エネルギー場の中、
スクリーンの中にいることを
わからなければなりません。そしてそのために
最優先しなければならない1点が
存在不可能・選択不可能の自分を
理解することです。

体の自分で生きることは
実在不可能であり、概念です。
エネルギー1滴・酸素1滴もつくれないのに
独立していると思い込んでいます。
そんな自分で幸せになろうとすることが、
いかに悲惨・残酷・屈辱、四苦八苦で
思った通りにいかないのか、
実存の問題・認識疾患の問題がわかることで
強烈な求心力になります。

存在不可能・選択不可能の自分が
この状態になった時に相応の遠心力である
無限大可能性の自分を獲得し
自然に完全死に到達することができるのです。

「自分」という概念は
神の無限大可能性が限界突破をした、
神より上位の概念です。
ですから上位概念の自分に到達した人は、
人間の一人一人の中にある神を解放させ、
無限の可能性、人間尊厳機能を発揮させます。
「今ここ体の目で見ちゃダメ」ということは、
神を救済する行為です。

神による人間救済なのか
心人間による人間の神の救済なのか、
これはすごい重要な鍵です。
日本は完全学問で全世界の人の
尊厳機能を発揮させ、神を救済できる人間に
変える挑戦をしていきます。

現在、令和哲学カフェは
令和哲学チャンネルにて
アーカイブが視聴可能になります。
ぜひお友達にもご紹介ください。

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