【20150810】 学術と観術の認識方法の違い

おはようございます。人文ベンチャー企業家Noh Jesuです。

「観測する前は人間と人間の宇宙は存在しない」

すなわち「現実は錯覚であり、人間と人間の宇宙は実在しない」

このメールマガジンでは、この新常識を理解し、『心の時代』『無のパラダイム時代』をリードしていくための情報知識を毎日発信しています。

先日から「なぜ今、日本なのか」をテーマに配信しています。

学術は、観察する側と観察される側、主体と対象を動と静というかたちで分離しています。

そして、学術の知の成り立ちは、体を主体として固定し、対象がAからBに移動するというように対象の変化を観察するのか。あるいは、対象を固定して主体が動いて観察するのかという二つの観察方法から生まれています。

それに対して観術は、主体も対象も、動も静も全部一つで観察します。HITOTSUというワンパターンの動きで、すべてを主体化させるので対象はありません。

「動き」というと、立体の存在があって、その存在が縦、横、高さの方向に移動するとうイメージが一般的です。

観術では、その動きのイメージではなく、時間、空間、存在も、エネルギーや物質も全てがつながっているワンパターンの動きであり、その動きの濃度の違いだけですべてを観るのです。

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